『行ったり来たり』 物語の最小要素

2019/2/8の収穫。

2018年版マイベスト映像編21。

 

Beckett on Film [DVD]

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これから書く文章は野暮である。

 

科学の世界では、最小要素を探求することは1種のセオリーである。

分子から原子へ、原子から素粒子へ。

最小要素を求めることは、すなわち自然界のシステムを再構成するための歯車を得ることに他ならない。

 

では、物語の最小要素とは何か?

それがこれである。

 

女が3人。

1人が席を立つと、残った2人が秘密の会話。

「それ、本当?」

「知らぬが仏ね」

1人が戻ると別の1人が席を立つ。

 

これを3回。

 

女たちはそれぞれ自分以外の2人の秘密を握っている。

握ったうえで、黙っている。

秘密と嘘。

情報の偏り。

 

3人は互いに手を取る。

握手の板の下には、嘘と感情の海が広がっている。

しかし、彼女らの思いが明かされることはない。

この世は舞台、人はみな役者。

舞台にいる内は奈落は見れない。

 

サミュエル・ベケットは自作の演出には非常に厳格だったという。

いささか乱暴に見えるその逸話も、これを見てしまうと頷かざるを得ない。

こんなにミニマムに作られた作品なら、どこを弄っても蛇足になる。

 

ここまで書いた文章は野暮である。

作品以上に長い解説文など、野暮にほかならない。

どうせ野暮なら、もう一つ蛇足を加えて終わるとしよう。

 

「およそ芝居などというものは、最高の出来栄えでも影に過ぎない。最低のものでもどこか見所がある。想像で補ってやれば」

 

笠置、冬、霧雨の昼下がり

笠置に行った。

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駅に着いてまず気付いた。

驚くほど静かだ。

遠くで車が走る音。川のせせらぎ、鳥のさえずり。

それ以外の音は何一つ聞こえない。

 

人のいない世界。

人の去った世界。

錆ついた霧雨の駅は、そんな空想をかきたたせる。

 

 

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そう、その日は霧が出ていた。

笠置大橋を見下ろす山々は霧に覆われ、冷たい湿気が頬をかすめる。

 

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霧の中に明滅する建物。

深い山の只中で、一体何するところやら。

 

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雨を帯びてかすかに湿る道路。

絶え間ない川霧を受けて、橋の赤はくすんでいる。

 

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横手に目をやれば山間を通る木津川が見える。

遠くに見える巨岩。

後で聞いたが、老舗のボルダリングコースらしい。

晴れた日はここも賑わうのだろうか。

 

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起伏のある土地らしい。

坂に沿って家が建ち、廊下は宙に浮かぶ。

張り巡らされた雨水溝が町の空気を湿らせて、朽ちかけた人の痕跡を塗り潰していく。

 

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初めて来たはずなのに、どこかで見た光景。

高架下のひと時。

岩壁を這う枯れた蔦。

 

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温泉宿も喫茶もビリヤードも、何一つ残ってはいなかった。

一体いつからこの町を見守っているのだろう。

 

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温泉、笠置いこいの館。

去年春リニューアルしたとは思えない、痺れる浴槽だった。

内装の印象としては、温泉よりも老人ホームの方が近い。

何故か大量に健康器具があったが、誰も使ってはいなかった。

 

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名物を期待して頼んだ笠置御膳だったが、海老が出てきた。

こんな内陸で海の魚介類に期待するのは野暮である。

野菜と漬物は美味しかった。

 

出てきてみると、地元の人々が野菜を交換していた。

溢れる笑顔、はしゃぐ子どもたち。

余所からやってきて寂れただの朽ちただの言ってしまったが、この町に住み、この町に生きる人々がいる。

 

帰りは少し暖かかった。

温泉のせいだけではないと信じたい。

 

『コープスブライド』 在りし日の"デッド"コピー

19/1/14の収穫。

 

『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』は非常に根強い人気を誇る名作である。

独特な世界観と優れた楽曲、純真イケメン(?)のジャックが人気の理由。

しかし、しばしば忘れられがちな要素が一つある……あれはジャックとサリーのラブストーリーなのだ。

 

ティム・バートンもそのことを不満に思ったのかもしれない。

コープスブライド』はまさしく、ラブストーリー要素を強めて『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』を作り直したような作品だ。

その結果どうなったかというと……すごくつまらなくなった。

 

第一の理由として、『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』で魅力的だった世界観が潰されてしまっていることがある。

順に見ていこう。

 

魅力的な世界観は3つの理由で失われている。

1つは構成の問題。

『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』がハロウィンタウンからスタートするのに対し、本作は現世からスタートする。

現世の人々はフランスアニメーション風に大きくデフォルメされており、我々は「このレベルのデフォルメはまだ記号扱いなんだな」「この世界では普通の姿なんだな」と認識する。

早い話、ツッコミレベルが上がるのである。

ツッコミレベルが上がってから死後のトンデモ人間が出てきても、インパクトが薄いのだ。

肉が残ってるやつらとか正直青塗りの人間にしか見えない。

 

2つ目はキャラクターバリエーションの少なさ。

死後のキャラクターの半分は前述の青塗り人間であり、3割は骸骨である。おばけやハロウィン関係なら何でもありだった『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』と違い、今作の異世界人は全て「死人」である。犬もいるけど。

大げさな前振りで出てきた長老がただの骸骨亜種だった時には思わず真顔になった。

 

3つ目は既視感である。

本作のキャラは正直『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』で見た感が強い。

まずヒロインのコープスブライドが厚化粧したサリーにしか見えない。それはしょうがないにしても、骨犬(名前忘れた)はどうみてもゼロだし、縦に裂ける人は市長の亜種だし……

 

コピー前の魅力がダメなら新要素はどうか。

つまりラブストーリーとしてはどうなのか……というと、これもまたイマイチである。

各キャラクターの行動原理がわかりにくいのだ。

 

もっともわかりにくいのが主人公のヴィクター。

ヴィクトリアに最初から惹かれているのならなぜ誓約をミスするのか。

夜1人になった途端なぜ大仰に動くようになるのか。

自由に憧れているのかいないのか。

『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の純真なジャックとは大違い。

ハムレット型と言えなくもないが、あくまで主導権を握り続けているハムレットと比べ、ヴィクターはただただ振り回されているだけに見える。

雰囲気に流されてヴィクトリアに惹かれ、死後の世界に拉致されて元の家に帰ろうとし、ストーリーの都合でチャンバラする羽目になる。

主体的な意思があるように見えないのだ。

 

敵役のバーキスにしても何の因果で貧乏貴族に目をつけたのかわからない。下調べくらいしようよ。失敗だとわかったらとっとと町から出ようよ。最終盤、突然ワインを飲もうとするのについても御都合主義にしか見えなかった。

 

男連中に対してわかりやすすぎるのがヒロイン2人。

ただひたすらに愛に憧れる女たち。

こちらはいささかわかりやすすぎる嫌いがある。

 

唯一良かった点として楽曲がある。

特に"remains of the day"は割とお気に入り。

字幕の翻訳はいただけなかったが、それだけが唯一の評価点だった。



『クレオパトラD.C.』(原作) バブルという時代のイコン

19/1/10の収穫。

 

原作版。

スラム街の美少女がある日突然大富豪になっちゃって、迸る正義感のままにチャンチャンバラバラチャンバラバラ。

 

作者の新谷かおるは少女漫画風タッチと社会漫画風ストーリーを上手く織り交ぜた作風が特徴。

本作でもそれが発揮され、ゴルゴ13ばりに当時の社会潮流が紹介されたと思えば、かたやキラキラお目目のお嬢さんがドロドロ人情劇をバッサリ、である。

 

しかしその作風こそが本作最大の難点でもある。

主人公クレオとその仲間たちが、あまりに聖人的すぎるのだ。

俗と欲で形成された経済世界の中で、主人公たちだけが愛と友情のもとに行動する。

よく言えば強調されており、悪く言えば浮いている。

「スラム街で育った処女の美少女」という設定がそもそも世間離れしていると言えないだろうか?

欲の暗闇を背に、彼女たちだけに光が差している。

まさにバロックの時代の聖画のように。

 

ちょっと前にTwitterで出回った話を思い出す。

二次元美少女は3つの側面で構成されるという。

曰く、「太母」「処女」「娼婦」であると(ちょっと違うかも)。

その考え方で行くと、クレオは典型的な二次元美少女である。

他者に愛を説くオカンでありながら、少女趣味のうら若き乙女であり、事あるごとに露出する娼婦でもある。

一種の理想像であるということ。

それは、イコンとして祀られるための一つの条件でもある。

 

クレオアメリカ人であるということは大きな象徴的意味を持つ。

かつてチャップリンは資本主義に轢き潰される人間を描いた。

それに対し日本人は資本主義をサーフィンする植木等を描き出した。

しかし結局のところ、日本人には「資本主義を支配し、謳歌する日本人」は描き出せなかったのではあるまいか。

アメリカの大富豪の美少女」という遠い世界の住人としてしか、ビジネスも若さも愛も謳歌する、資本主義世界のイコンは描けなかったのではないだろうか。

 

本作の発表は1986-1991年。

まさにバブルとともに始まり、バブルとともに終わった作品である。

人間の欲望がどこまでも肯定されたあの時代に、人々は愛と友情のクレオパトラをイコンとして崇めた。

そして欲望の泡が弾けると同時に、イコンを捨てた。

それを「現実に立ち向かえるようになった」と見るのは、感傷に過ぎるだろうか?

 

『principle for sucess by Ray Dalio』 1人じゃPDCAは踊れない

19/1/9の収穫。

 


Principles For Success by Ray Dalio (In 30 Minutes)

著名な投資家レイ・ダリオによる成功学のお話。

最近になって教育に手を出し始めたレイ・ダリオ。本作もYouTubeで観れる30分のわかりやすいアニメになっている。

英語の勉強とかにもよさそう。

 

内容はざっくりPDCA+ライフハック思考。

PDCAが5ステップになってたりライフハックの考え方が「全てはシステムなのだ!」みたいな壮大な感じになってたりするが基本は同じである。

 

PDCAは今時高校生でも知ってるくらいなので大して面白くはないのだが、珍しいのはその運用方法。

PDCAの各段階で得意不得意があるから、複数人で協力してやるといいよ」と言っているのだ。

 

後半の部分でもそうだが、レイさん基本1人で進める気はさらさらない。

「手伝ってくれる人くらい周りにいるよね?」くらいのノリである。

世の中には孤独なオッさんもいるんですよ!

キモくて金ないおっさんが血を吐いて死ぬよもう!

 

とはいえグループでやることに運用上利点があることはよくわかる。

PDCAPDCA!」と連呼してれば人が勝手に成長すると思ってる連中よりはよっぽど現実的である。

 

 

というわけで皆さん味方を作りましょう。

はい2人1組になってー。

 

 

『真贋』 そういうもんなんですか?

19/1/8の収穫。

 

 

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

 

 

小林秀雄の評論というかエッセイというか。

作者が一時期骨董に凝ってた時の作品である。

 

骨董に限らず真贋、本物と偽物を見分けるのは難しい。

だからこそなんでも鑑定団が終わらないわけで、今日も元気に壺を回すわけだ。

 

ただその場の気分でパカスカ割ったり切ったりするのはいかがなものか。

もし本物だったらどうするんだ。

というか本物の土器を作中2,3回割ってるがいいのかそれは。

文化財なんだと思っとるんだ。

 

偽物つかまされてやりたくなる気持ちはわかるんだけど……身銭を切らないとわからない世界かもしれない。

『頂きはどこにある?』 やはりあなた達はワカっていない、スペンサー・ジョンソンという男を……

19/1/7の収穫。

 

 

頂きはどこにある?

頂きはどこにある?

 

 

『チーズはどこに消えた?』(以下チーズ)のスペンサー・ジョンソンの寓話。

 

チーズの方を先に読んで、「これ作者としてはブランディング難しくないか?」と思って当たった。

チーズの方は前談がハードルを上げすぎてもはやネズミ講状態になっていた。反論もあるのでまた今度やる。

 

本作でも前談が入る。

どこかで見たと思ったらこれ刃牙で見たやつだ。アレだ、刃牙vsピクル戦の烈さん。滑ってる時の「第三者は語る」だ。

 

話自体はひどく単純。

青年が老人に教えを請い、冒険し、成長する。

特筆事項なし。