『Ergo Proxy』を見た。個人的には中の下くらいの印象。
「外国人に人気のアニメ」とか「大人のアニメ」とかで名前が挙がっていたのを覚えている。
哲学的な、とか独創的な、とか難解な、とかいう枕詞が付いていた気もする。
個人的にはこれらのレビューにいまいち賛同できない。
『Ergo Proxy』は怪作というよりは、むしろよくあるパーツをうまくつなぎ合わせた快作の方に近いイメージだ。
『Ergo Proxy』に似た作品は非常に多い。
荒廃した大地・男と女と子供・ディストピアとしての管理社会。
クイズ回とかディズニー回とかそういうあからさまなものは置いておくにしても、オマージュの非常に多い作品と言える。
その主なパーツはたぶん以下の3つだろう。
すなわち、『風の谷のナウシカ』(漫画版)・『COWBOY BEBOP』・『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』だ。
『風の谷のナウシカ』の影響はその背景設定にある。
荒廃した大地・旧人類と新人類の関係など、『Ergo Proxy』における「世界の秘密」はナウシカのそれとかなり似通っている。
『TRIGUN』あたりともかなり似ている(ヴィンセントとヴァッシュの造形とかそっくり)が、そもそも90年代においてポストアポカリプス系が流行っていたというのは無視できない(というか『TRIGUN』にせよ『血界戦線』にせよ、内藤作品はその世代の流行をかなりの部分体現している)。
『Ergo Proxy』は世に無数に存在するナウシカフォロワーの一人と言えるだろう。
パンで見た時の設定が 『風の谷のナウシカ』なら、ズームで見た時の設定は『COWBOY BEBOP』だ。
固定メンバーが疑似家族を形成しながら街を巡り、そこで騒動に巻き込まれる。
いわゆるビバップスタイルのストーリー展開が『Ergo Proxy』後半の主軸となる。
子供でロボット、かつ悩み多きヴィンセントだけでは停滞しがちなストーリーの推進役であるピノの存在はビバップのエドに似ていなくもない。
ついでにいうと『THE ビッグオー』のドロシーにも似ている。というかビッグオーと『Ergo Proxy』が似ている。これもまた影響の一つなのかもしれない(念のため書いておくが、『THE ビッグオー』の方が先)。
最終話が過去を清算するストーリーであることも『COWBOY BEBOP』に似ている。
最後に、描写の仕方は『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』を真似ている……が、こちらはあまり追随できていない印象。
膨大なハイテキストによって世界のすべてを描き切ってしまう押井守のスタンスは踏襲しているが、『Ergo Proxy』はハイテキストをうまく扱いきれていないという印象。
例えば「おじいさま」の四体の石像は哲学者の名前なのだが、彼らの言動がその哲学者自体のなにがしと関係しているかといわれると、そうでもない。あくまで名前をとってきただけという印象だ。
レーゾンデートルにしても、もともとの「存在意義」という訳をそのまま当てはめすぎているというか、「生きる意味」程度に翻訳してしまっている点はいただけない。
長々と書いてきたが、『Ergo Proxy』があまり好きになれなかった理由は最後にある。
様々な作品の要素を組み合わせ、オマージュして作られた『Ergo Proxy』。
当然それは悪いことではない。むしろ称賛されるべきことだろう。
しかし『Ergo Proxy』はその先を描くことができていない。
日本アニメの流れに疎い外国人にどう映るかはわからないが、日本人が見ると『Ergo Proxy』は守破離で言うところの守。
こちらとしてはその先、先人から受け継いだものをどのように発展させるかに興味があるわけで、当然守だけではあまり面白くないという印象だった。