知り合いが悩んでたので。
なぜやりたいことを見つけるのか?
「やりたいことが見つからない!」いう人は多い。
でもやりたいことを見つけようとする目的っていったいなんだろう?
進路を決めるため?
人生に張り合いを持たせるため?
多分そのどれもが正解だと思う。
ここでは「人生の中で一つの成果を作るということを最終目標に次にやることを決めるため」としておく。
やりたいことは夢ではない
上で書いたやりたいことの目的をもとに考えると、「やりたいこと」と「最終目標」は違うことがわかる。
「やりたいこと」は「次にやること」の部分にあたるのであり、「最終目標」の部分ではない。
これは進路を考えるときのことを考えるとわかりやすい。
進路を考えるタイミングで必要なのは「次にやること」(どの学部の入試を受けるかなど)であって最終目標(どんな研究がしたいか、将来の夢など)ではない。
もちろん最終目標と次にやることは繋がっていた方が良いと思うが、少なくとも同じではないことはわかるだろう。
この点からわかることは、やりたいことを過度に重く捉えてはいけないということだ。
人生の中で達成したい成果(夢)を決めろ!と言われたらそれは詰まるだろうが、次にやることを決めるだけならいくらでも修正できる。
後でも書くが、やりたいことを重く捉えないことがやりたいこと探しの鉄則。
まず走り始めることが大事、なにごとも。
やりたいことは一つではない
やりたいことを「寝食を忘れて熱中できるようなこと」だと思ってる人も多い。
はっきり言おう。そんなことを見つけた人はほとんどいない。いたとしても歳取るにつれてそもそも身体がついてこなくなる。オールとか無理だからそんなの。
食の話ついでにお昼ごはんを選ぶことを考えてみよう。
せっかく食べるなら好物を食べたいもの。
でもだからといって、食べてる間はすべてを忘れられる大大大好物じゃないといけない、というわけではないだろう。
パンケーキ食べてる間は幸せになれる人だって、毎日パンケーキを食っているとは限らない。
ある程度好きなものなら普通にオッケー、そんなもんじゃなかろうか。
やりたいことも同じだ。「次にやること」なんだから気張る必要はない。
ある程度やりたいと思えるもの、それを複数用意しておけば、あとは適当にローテーションさせればいい。
そもそも最終目標に至る道において、一つのことだけやってればいいなんてことは滅多にないし、一つのことをやり続けてウンザリしてもしょうがない。
歴史上の偉人だって、みんな気晴らししてたのだ。
やりたいことは「こと」ではない
お昼ごはんの例をさらに考えてみよう。
今度は他人をお昼ごはんに誘う場合だ。
「好きな食べ物は?」と聞くと「ハンバーグとか、シチューとか、パスタとか」と返ってきたとする。
この場合、「そのなかで一番は?」と聞く必要があるだろうか? 好きなもののラインナップを見る限り、だいたい洋食屋に連れてけば大丈夫ではなかろうか?
さっきも言った通り、やりたいこと(=好きな食べ物)は1つではない。1つに絞る必要がない。
次にやることを決める上で大事なのは、沢山あるやりたいことの共通点だ。
「洋食」なり「甘いもの」なりなにかしらの共通点を見つけておけば、昼食に困ることはなくなる。つまり、波はあるにせよいつでもやりたいことができるようになる。
やりたいことが見つからないという人の多くはある一つの特定の行為を探そうとしているのではないだろうか?
やりたいこととはそういうものではなく、むしろ小さな好みが寄り集まってできる傾向なのだ。
やりたいことは探さないと見つからない
それでもやりたいことが見つからないという人へ。
やりたいことを探していない、というのはないだろうか?
いや言いたいことはわかる。色々考えているけどもやりたいと思えることがないのだと。どんなものにも興味が持てないのだと。
しかし実際に、物理的にみたときに、あなたはいったい何をしているだろうか? ベッドの上でグータラしているだけではないだろうか?
厳しいことだがハッキリ言っておこう。
「もしやりたいと思えることが見つからないのなら、それは一見やりたくないと思っていることの中にしかない」。
見える範囲にやりたいことが見つからないのなら、見えてないところにしか答えはない。
つまり、「どうせ面白くないだろう」と思ってやっていないことや、そもそも知らなかったことのなかにしかやりたいことの可能性は残っていない。
もちろん、「どうせ面白くない」と思っていたことは、実際やってみても大抵面白くない。それはしょうがない。砂の中から砂金を探すような取り組みだ。ほとんどの場合は期待外れに終わるだろう。
でも見つけたいのなら探すしかない。
さあスマホを捨て、街へ出よう。
いろんなものを味見してみよう。
そこからしかやりたいことは見つからない。