- 作者: 坂口安吾
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2018/08/29
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログを見る
今でこそ教科書に載っている安吾だが、当時はふつうにベストセラー作家みたいな扱いだったらしい。
本作についても「読者への挑戦状」式のキャンペーンがなされたようだ。
舞台はとある文豪が所有する山荘。
中には方々から文化人が集まってきており、いわば一種のサロンのようになっている。
登場人物はどいつもこいつも癖の強い人物ばかり。
そんななか殺人が起こり、全部で8人が犠牲になる。被害者数といいキャラといい、いちいち派手である。
作中で指摘されている通り、明らかに『グリーン家殺人事件』のオマージュになっている。
作者曰く、本作品のミステリ的特徴は「心理トリック」「心理的抜け穴で犯人当て」である。
どうも安吾は本作に自信満々だったらしく、作品内で「心理面が問題になるなんて珍しいだろドヤ! すごいやろ!」と言ってしまっている。実際当時の評価は高かったので間違いではなかったのだが。
まあたしかに本作品の物理面、ハウダニット的には特に見る部分はない。正直なんとでもなるの域である。
では作者謹製の心理トリックの出来は如何程?というと、これがてんでダメ。
作品の設計からして間違っていると言わざるをえない、なんともお粗末な出来になってしまっている。
(ここからネタバレ)
本作の構造的欠陥、それは「心理トリックであるにもかかわらず心理的に共感できる登場人物がいない」ことである。
本作の登場人物は良くも悪くもキャラが立っており、安吾式の耽美怪奇趣味全開である。
ただそれは同時に、常識的な人物が感情移入できる人間がほぼいないということになる。
わかりやすいところでいうと今作の登場人物、みんな情事に対する欲求が強すぎる。
今回の被害者の半数以上が「手紙などで情事に誘われ一人になったところを殺害」である。
しかも犯行の手口がこれであることは序盤で登場人物全員に明かされている。
にもかかわらず本作の登場人物は情事の手紙を見るとホイホイ一人で出かけてしまう。
安吾なんだからと言われればその通りなのだが、作中時間で1週間以上かかっている事件としてはあまりに現実離れしており、全く共感できない。
もっと言うと、安吾肝いりの「心理の足跡」は「襲われた女性が仲が悪い人物の方に逃げたこと」である。
たしかにこの部分は読んでいてかなり違和感があったが、しかしホイホイ情事に出かける被害者の群れと比べるとあまりに弱い。
「まあこの世界観ならそういうこともあるよな」「みんなわけわからんキャラだからな」としか見えないのである。
まして問題なのは千草の事件である。
嫌われ者扱いされていた犯人に対し、目隠しした上でかくれんぼなんてそう簡単に乗るだろうか?
ここだけでも心理的に理解できない連中の事件としか見えない。
ましてこの「全員共感できない」という設定、明らかに作者は意図して行なっている。
それでは話になるまい。
明らかに元ネタであろう『ナイルに死す』のほうがよっぽど納得いく筋書きである。
つまるところ、心理トリックを肝にしたミステリで読者を納得させるには読者にその心理を追体験させる必要がある。
その土俵で共感できない登場人物だらけにするのは、そもそも最初のモデリングの時点で間違っているのである。