直木賞の選考にて「文学とは人に希望と喜びを与えるものではないのか」という発言があったそうな。
もちろん文学の中には喜びと希望以外のものも描かれている。
むしろ世界の悪辣さ、人生の苦しさを伝えるために喜びと希望なんて一切描かない文学だってある。
そんな文学をここでは「地獄文学」と呼ぶことにした。
いくつか紹介したいと思う。
- 血みどろ地獄:コーマック・マッカーシー『ブラッド・メリディアン』
- 厭世地獄:トーマス・ベルンハルト『凍』
- 社会悪地獄:ロベルト・ボラーニョ『2666』
- 自意識地獄:ミシェル・ウェルベック『闘争領域の拡大』
- 無限地獄:夢野久作『ドグラ・マグラ』
- 箱庭地獄:ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』
- それでも地獄で生きていくために:カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』
血みどろ地獄:コーマック・マッカーシー『ブラッド・メリディアン』
最初の地獄文学はアメリカから。
『ブラッド・メリディアン』は西部開拓期の傭兵団「グラントン団」を主軸とした物語である。
グラントン団の仕事はインディアンの虐殺。
当時のアメリカではインディアンの頭皮を州機関に持ち込めば報奨金が支払われていた。
西部開拓をスムーズに進めるためである。
グラントン団は報奨金目当てでインディアンを殺していくが、やがてインディアン以外も手にかけるようになる。
出会うもの皆殺害し、嵐のように去っていくグラントン団の逃避行。
血も干からびる無慈悲な砂漠の中で、グラントン団は追い詰められていき、一人また一人と殺されていく。
句読点の一切ない特異な文章で綴られる暴力の日々は、まさに地獄。
グロ耐性は必要だが、地獄文学らしい地獄文学をお求めのあなたに。
なおこのグラントン団、なんと実在の人物である。
やっぱり現実が一番地獄じゃないか……
厭世地獄:トーマス・ベルンハルト『凍』
コーマック・マッカーシーが物理的な地獄とすると、こちらは精神的な地獄。
オーストリアの作家ベルンハルトの長編である。
舞台は雪に覆われた寒村、ヴェング。
主人公の「研修医」は上司から「画家」と呼ばれる男を観察するよう依頼される。
隙間風の吹く宿屋で画家が綴るのは、世界に対する呪詛。
人生において出会ってきたすべてのものに対して、画家は嫌悪感を隠さない。
真冬の空気よりさらに冷たい氷点下の憎悪。
人生に対する熱意を極限まで失った画家の心は、一周回ってどこまでも透明になっていく。
人間嫌いのための絶対零度地獄。真冬に一人で読むべし。
社会悪地獄:ロベルト・ボラーニョ『2666』
物理、精神ときて今度は社会的な地獄を。
実は未読なんだけど、地獄文学といえば紹介しないわけにはいかないボラーニョの『2666』。
ノーベル文学賞筆頭候補の謎の作家、アルチンボルディ。
謎に包まれた彼の人生をたどる旅路は、いつしかメキシコ国境の町サンタ・テレサへとたどり着く。
サンタ・テレサ……それは人類の悪意が集まる街。
そこでは数十人の女が消え、しかし誰も彼女らを探さない。
読了者がこぞって認める、地獄文学の金字塔。
でも未読。来年ぐらいに挑戦予定。
自意識地獄:ミシェル・ウェルベック『闘争領域の拡大』
前3冊は物理的にヘヴィーすぎるかもなので、今度は短め(当社比)の地獄文学を。
『闘争領域の拡大』はフランスのベストセラー作家ウェルベックの小説デビュー作。
主人公はソフトウェアメーカーに勤めるサラリーマン。
性格としてはよく言えばエロ親父、悪く言えば人間のクズ。
性欲も自己顕示欲も何もかもが満たされない、キモくてカネのないおっさんである。
なぜこうなってしまったのか?
彼はその理由を「闘争領域の拡大」だと位置づける。
完全に自由な経済システムになると、何割かの人間は大きな富を蓄積し、何割かの人間は失業と貧困から抜け出せない。完全に自由なセックスシステムになると、何割かの人間は変化に富んだ刺激的な性生活を送り、何割かの人間はマスターベーションと孤独だけの毎日を送る。経済の自由化とは、すなわち闘争領域が拡大することである。それはあらゆる世代、あらゆる社会へと拡大していく。同様に、セックスの自由化とは、すなわちその闘争領域が拡大することである。
上記のような鬱屈した内容なのだが、実は本作地獄文学としては初心者向け。
というのもこのウェルベック、文体が非常にキレイなのだ。
特に短文。キャッチコピーのような印象的な文章が極めて多く、同年代の人にとっては「あるある」が止まらないのではなかろうか?
全裸中年男性おすすめの地獄文学。
無限地獄:夢野久作『ドグラ・マグラ』
お待たせ日本からの参戦者。「読むと気が狂う」で有名な日本三大奇書の一冊。
チャカポコだの漢文調だののぶっとんだ構成が有名だが、地獄文学的に見どころなのはその世界観だろう。
それは徹底した無限ループ、メタ構造に次ぐメタ構造の世界観だ。
主人公「私」は記憶喪失の状態で精神病院で目覚める。
担当の若林教授曰く、彼の失われた記憶の中にとある殺人事件のカギが眠っているのだという。
実験室に置かれた事件の資料を読んでいくうちに、彼の頭にある疑念が浮かぶ。
殺人事件の犯人、呉一郎とはもしかして自分のことなのではなかろうか、と……
記憶喪失の主人公にとって、精神病院の中が世界のすべてである。
しかし作中で示唆されるように、精神病院の中の出来事はすべて若林教授(と正木教授)が取り計らったものにすぎない。
それだけではない。作中に登場する論文によるならば、主人公の体験は胎児が見ている悪夢という可能性もある。
主人公が狂気にむしばまれていることを考えると、すべてが妄想だったというオチすら否定できない。
夢オチ、妄想オチ、メタネタ、ループオチ、それらすべてがこの一冊の中にぶち込まれている。
もはや確かなことなど何一つない、あいまいで不確かな世界観がここにある。
箱庭地獄:ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』
南米チリからのご登場、『夜のみだらな鳥』。
ガルシア=マルケスをラテンアメリカ文学のラスボスとすると、ホセ・ドノソは隠しボスみたいなもん。
舞台は崩壊間際の修道院。
主人公ムディートはそこで働く下男なのだが、かつては国内有数の貴族ドン=ヘロニモの秘書だった。
彼はドン=ヘロニモの秘密を握っている。
それは、ヘロニモが息子のために作り上げた狂気の楽園リンコナーダのこと、そしてその息子が実は自分の子だということ……
地獄文学としての特徴はひとえにムディートの周りでの乱痴気騒ぎ。
現在の世界の修道院でも、過去の世界のリンコナーダでも、正気のものとは思えない騒動が繰り返される。
修道院では世間から見放された老婆たちが集まり、処女懐胎と称して赤ちゃんごっこに精を出している。
リンコナーダはそもそも設立からして畸形の息子のために作られた畸形だけの世界である。小人症・肥満症・障碍者だけが住む箱庭であり、そこでは五体満足な人間こそが最大の畸形として扱われている。
ドン=ヘロニモはギリシャ神話じみたナイスミドルだが、その精神は他のどの畸形たちよりも歪んでいる。
誰ひとり「まとも」な人間などおらず、誰ひとり善意の人間などいない。
まさに地獄。怪物たちの楽園とその崩壊、それが『夜のみだらな鳥』である。
版元の水声社はアマゾンに卸していない。
書店で取り寄せしよう。
それでも地獄で生きていくために:カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』
そろそろ地獄巡りにも疲れてきた? さすがに救いが欲しくなってきた?
なら最後は爽やかな風の吹く地獄にご招待。救いは……まあないけどね……
『スローターハウス5』はアメリカの作家カート・ヴォネガット・ジュニアの自伝的作品だ。
主人公、ビリー・ピルグリムはある種特殊な能力(病気?)に目覚める。
それは自意識だけのタイムスリップ。
ある瞬間には初老の大富豪だったビリーが、次の瞬間には10代の少年兵になる。
タイムスリップするのは意識だけなので、自分の行動を変えることはできない。
未来に意識が飛ぶこともあるため、むしろ普通の人生よりも自由が少ない。
事実上、彼の人生は前もって決まってしまったようなものなのだ。
ビリー・ピルグリムが変えることのできないもののなかには、過去と、現在と、そして未来がある。
ここで描かれる地獄とは、理不尽に訪れる死の地獄である。
第二次世界大戦の少年兵として、彼は戦争の地獄をつぶさに観察する。
雪中行軍の苦痛、理不尽な処刑、ドレスデン爆撃。
無数の死を目の前にしてビリーは悟る。運命とは「そういうものだ」と。
ビリーが体験した地獄は、作者自身の従軍体験に基づいている。
圧倒的な現実の地獄を前にして、それでも彼は絶望ではなく希望を見出した。
地獄の中にも風は吹く。重く苦しい地獄文学を楽しむためのスタンスは、ここにあるのかもしれない。
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地獄、集合!