2019/2/8の収穫。
2018年版マイベスト映像編21。
これから書く文章は野暮である。
科学の世界では、最小要素を探求することは1種のセオリーである。
分子から原子へ、原子から素粒子へ。
最小要素を求めることは、すなわち自然界のシステムを再構成するための歯車を得ることに他ならない。
では、物語の最小要素とは何か?
それがこれである。
女が3人。
1人が席を立つと、残った2人が秘密の会話。
「それ、本当?」
「知らぬが仏ね」
1人が戻ると別の1人が席を立つ。
これを3回。
女たちはそれぞれ自分以外の2人の秘密を握っている。
握ったうえで、黙っている。
秘密と嘘。
情報の偏り。
3人は互いに手を取る。
握手の板の下には、嘘と感情の海が広がっている。
しかし、彼女らの思いが明かされることはない。
この世は舞台、人はみな役者。
舞台にいる内は奈落は見れない。
サミュエル・ベケットは自作の演出には非常に厳格だったという。
いささか乱暴に見えるその逸話も、これを見てしまうと頷かざるを得ない。
こんなにミニマムに作られた作品なら、どこを弄っても蛇足になる。
ここまで書いた文章は野暮である。
作品以上に長い解説文など、野暮にほかならない。
どうせ野暮なら、もう一つ蛇足を加えて終わるとしよう。
「およそ芝居などというものは、最高の出来栄えでも影に過ぎない。最低のものでもどこか見所がある。想像で補ってやれば」