『僧正殺人事件』 偉大なる後進

(途中から本作を含め複数のミステリのネタバレがあります) 

 

僧正殺人事件 (S・S・ヴァン・ダイン全集) (創元推理文庫)

僧正殺人事件 (S・S・ヴァン・ダイン全集) (創元推理文庫)

 

 

古典ミステリの大御所ヴァン・ダインの代表作。

歌や俳句などになぞらえて殺人事件が起こる「見立て殺人」の代名詞でもある。

 

今回見立てられたのはマザー・グース

マザー・グースの見立て殺人としては『そして誰もいなくなった』が有名だが、年代的には当然こちらの方が10年古い。

作品のカラーとしては『そして~』がホラーであるのに対しこちらはサスペンス。

犯人を追い詰めるシークエンスについては手に汗握るものがある。

そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 

登場人物も『グリーン家殺人事件』よりキャラが立っている。

ドラッカー親子は~に出てきてもおかしくないような目立ちっぷりだし、パーディーの哀れさには目を引くものがある。

ファイロ・ヴァンスは好みの分かれる名探偵だが、個人的に嫌いではない。

全国n人のヒース部長ファンにはニヤニヤが止まらないシーンもあり、現代から見た評価ポイントはこのあたりのデフォルメの効いたサスペンスパートに集約されそうだ。

 

ただし、それ以外の部分についてはミステリ面でもストーリーテリング面でも高評価は難しい。

それは、本作が偉大な2作の後輩を生み出してしまったからだと思う。

 

ミステリ面では『ABC殺人事件』。

ストーリーテリング面では『Yの悲劇』である。

 

 

(この先ネタバレ)

 

 

 

 

 

まずはミステリ面。

比較するのはアガサ・クリスティーの『ABC殺人事件』である。

ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

ABC殺人事件 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 

そもそも『僧正殺人事件』、犯人当ては 非常に簡単である。

登場人物は多いものの、チェスと数学に詳しいやつだけで4人に絞られ、うち2人は被害者。

残った2人のうちあからさまに怪しい動きをしているほうが犯人。

正直、作中人物はなんでわからないんだレベルのフーダニット。『グリーン家~』の時と言い、殺しすぎである。

しかも動きがあからさますぎてハウダニット要素は皆無。まあここは作者も重きを置いていないだろう。

 

なのでミステリ面の謎は「なぜマザー・グースに見立てたのか?」というワイダニットだけなのだが、この部分がはっきり言って時代遅れ。

端的に言うと「数学者ってほら、変わってるからさ……」という話であり、それに真実味を持たせるためにファイロ・ヴァンスの演説が入るのだが、現代人から見るとあまりに単純化されたレッテルとしか言えない。

100年前ならしょうがないか、というレベルである。

 

対して『ABC殺人事件』。こちらのワイダニットは現代でも納得せざるを得ないレトリックである。

というか本作の話でも『ABC~』の論法で説明した方がよっぽどスッキリする。

ドラッカー親子の遺産を狙った殺人だったが直接狙うとバレバレだから、とか。

そもそも本命の「僧正」がマザー・グース関係ないのだから身もふたもない。

ミステリ面ではさすがに周回遅れと言わざるをえないだろう。

 

 

一方ストーリー面では、どうしても『Yの悲劇』に譲ってしまう。

Yの悲劇 (角川文庫 ク 19-2)

Yの悲劇 (角川文庫 ク 19-2)

 

ドルリー・レーンがあれだけ悩んだ決断を、ファイロ・ヴァンスはあっさりやってしまうのである。しかも、その場のノリで。どちらが支持されるかは言うまでもない。

『Yの悲劇』が『グリーン家~』をもとに作られたというのは有名だが、クイーンはこちらの作品も見たうえで『Yの悲劇』を作ったのではないか。

ドルリー・レーンのシェイクスピア的な色濃い苦悩はファイロ・ヴァンスの過剰なシニカルさの裏返しに見える。

 

そして誰もいなくなった』も『ABC殺人事件』も『Yの悲劇』もすべて日本国内でトップクラスに評価が高い作品である。

偉大なる後進に恵まれたことこそが本作品の歴史的意義であり、評価されない原因でもあると言える。