『夜のみだらな鳥』 崩れゆく伽藍、絶え間なき暗渠

 

夜のみだらな鳥 (フィクションのエル・ドラード)

夜のみだらな鳥 (フィクションのエル・ドラード)

 

  

人生は道化芝居ではないし、お上品な喜劇でもない。

……すべての人間が生まれながらに受け継いでいるのは、狼が吠え、夜のみだらな鳥が啼く、騒然たる森なのだ。

 

大学の近くに家系ラーメンができた時、友達と一緒に行列に並んだことを思い出す。

ラーメンは味噌派の私に対して、その友達はこう言った。

「家系ラーメンは食後の水を味わうためのもの」。

食べた後の水のうまさを味わうためにラーメンがあるのだと。

なぜそんなことを思い出したかというと、目の前の小説のハイカロリーさと家系ラーメンが一瞬重なったからだ。

もっとも、『夜のみだらな鳥』はラーメンというより闇鍋だと思うが。

 

『夜のみだらな鳥』はチリの作家、ホセ・ドノソの小説だ。

ここではいろんなことが起こるが、大まかには3つの時代に分けることができる。

 

1つ目、青年作家ウンベルト・ペニャローサが大貴族ドン・ヘロニモに仕えていた日々。

影と光、召使と主人が入れ替わる、不能を巡る呪術譚。

 

2つ目、ウンベルトが畸形の楽園リンコナーダの管理者として送った日々。

「畸形」が「正常」、「正常」が「畸形」となる人工の世界。

 

3つ目、ウンベルトが変じた存在『ムディート』が、見捨てられた修道院で送る陰謀と混沌の日々。

頭の弱い娘を囲んで老婆の群れが処女懐胎ごっこ

 

物語はこの3つを行ったり来たりし、それに合わせてウンベルトも世界も姿を変じていく。

 

 

変身。そう、この本は変身に満ちている。

『夜のみだらな鳥』の世界において、人間は容易に姿を変える。

形を定めるのは名前、そして仮面。

ウンベルトが名前を失うとムディートに変じ、ムディートが仮面を被るとヒガンテに変身する。

 

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ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』より。『ムジュラ』同様、『夜のみだらな鳥』の主人公は仮面(またはそれに紐づいている名前)に応じて姿を変える。

 

ストーリーが時空と姿を絶えず行き来する一方で、そのラインが描き出す構造は常にシンプルだ。

『夜のみだらな鳥』は常に裏と表、2つの存在の対局構造の中に存在している。

きらびやかな表面の影に存在する、無秩序な暗渠の濁流。

例えば、主人と召使。

令嬢と老婆。

畸形とそうでないもの。

それらは時に入れ替わり、交差し、重なり合う。

世界で最も有名な魔女、マクベスの老婆たちが語ったように、『きれいは汚い、汚いはきれい』なのだ。

 

闇のなかの彼女たちはそうした不潔な汚れもので、それらを奪い取った主人たちだけではなく世間全体の、いわばネガを再現して楽しんでいるのだと。

この廊下や空部屋に大勢集まっている老婆たちの弱々しさ、貧しさ、寄る辺なさは、おれにもよく分かる。

そしてここは、この修道院は、彼女たちがその護符を隠しておくために、またその弱さを結集して裏返しの力と言うべきものを作り上げるために、やって来た場所なのだ。

 

『夜のみだらな鳥』の世界は極めて理性的だ。

取っている行動がいかに狂気的でも、いやだからこそその全体構造はリジッドな寓話に満ちている。

しかしいかに寓話性に満ちていても、本作の価値をその二極構造に見出そうとするのは間違いだろう。

理性的な暗喩構造は、あくまでも崩れ行く人工の世界に他ならない。

構造面が論理的であればあるほど、むしろその対極にあるものが暗く輝くのだ。

あの暗く朽ち果てた無秩序な迷宮の、どうしようもないほど強大な力が……たとえようもないほど歪んだ、あの美しさが。

 

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終盤の修道院崩壊は『ノスタルジア』のこの光景を思い出した。作品としては対極的だが、美しい虚しさがそこにある。

 

 

「ラーメンは食後の水を味わうためのもの」。

『夜のみだらな鳥』も、そうやって味わうためのものに思える。

本を閉じ、せわしない日常の中で時たま生じる空白の時間に、吹き抜ける風と共に思い出すのだ。

混沌の濁流に呑み込まれていったあの伽藍を……夜のみだらな鳥が啼く、騒然たるあの森を。

 

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ベックリン『月光の風景』

 

 

Flip the Next Coin...

ドグラ・マグラ』:日本から来た親戚。ババァ&畸形小説からキ〇ガイ小説へ。

ドグラ・マグラ(上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ(上) (角川文庫)

  • 作者:夢野 久作
  • 発売日: 1976/10/13
  • メディア: 文庫
 

 『黄泥街』:中国から来た親戚。ババァ&畸形小説から虫&糞小説へ。

kambako.hatenablog.com

 

 

 

 

 

Last evil カード&装備品評価

 Steamのデッキビルディングゲーム。

がっつりエロ要素してるけどやってみると全くエロくない。

むしろゲーム要素が面白いゲーム。

なのでカード評価とかしてみた。

 

 

 

10点

マナストリーム

完全ノーコストカード。

アクション数(マナ)を増やす方法が少ないゲームなので効果も強い。

弱いわけない。

 

クイックショット

完全ノーコストカードその2。

効果は控えめだが完全ノーコストなのでコスパは無限大。

 

壊血病

コストありで唯一の10点評価。毎ターン出血付与。

これ貼って守ってるだけで勝てる。

 

9点

アンプリファイ

攻撃力3上昇。火力源。

これ単品では仕事しないが、廃棄カードなのでデッキも圧迫しない。

アップグレードすると驚異の0マナになる。

 

劣化

攻撃するたび出血付与。

こちらもアップグレードすると0マナ。

上述の壊血病・アンプリファイと相性が良い。

 

マジックアロー

1マナ3x3ダメージ。

1マナ9点でも強いが、先述のアンプリファイ・劣化との相乗効果が大きい。

育てば1マナ27ダメージも簡単に出せる。

 

チル

0コストダメージカード。

攻撃面でも弱体化面でも貴重なカード。

初期カードだが追加で取っても強い。

 

ダブルペネトレーション

コピーカード

強いけどめったに手に入らない。

 

8点

エリシブパワー

初期攻撃と初期防御を1枚にしたようなカード。

攻防一体で使い勝手が良い。

 

防御姿勢

アンプリファイの防御版。

効果は強いが、アップグレードしてもコストが下がらない分点数が劣る。

 

フィンガープレイ

シールド&ドロー。

コストは高めだが効果も大きい。

マナコストメインのデッキに1-2枚刺すと効果的。

 

ヘイスト/サディズム

手札の減らない攻撃/防御。デッキの潤滑剤。

どちらを取るかは好みだが、個人的にはヘイスト優先。

 

カース/インジャリー

出血付与カード。

弱体化のカースかダメージのインジャリーかどちらを選択するかは状況次第。

カースの方がレア度が高いので注意。

 

マナレザドゥー

0マナ多段攻撃。

0マナで3-5点ダメージが出せるだけでもおいしいが前述の劣化と好相性。

 

ザ・ミストレス

手札にキープして置ける無敵カード。

強力カードには違いないが、他の強いカードと一緒に出ることが多く選択率は高くない。

 

7点

ヘイトレッド

1ターン限定火力増加。

原則アンプリファイの方が強いが、あちらが出ない場合はこっちを取るしかない。

単体では仕事をしないのでデッキに1-2枚にとどめておくように。

 

やまびこ

毎ターンシールド付与。

なんだかんだ有能だが1コストが重いときもしばしば。

アップグレードしてもコストは下がらない。

 

スティグマ

攻防一体デバフ。

多段攻撃との相性がよいがこれ単品では仕事をしない。

クリピアシングを持っていると実質ほぼノーコストになり、優先度上昇。

 

ドレインライフ

ネクロマンシーの杖で得られる特殊カード。

回復しまくれるため完全に別ゲーになる。

相手にダメージを与えないと回復は発生しないので注意。

 

インフュージョン

1マナ3ドロー。

アクション数が限られているため他のデッキビルディングゲームよりは強くない。

保険の意味合いでデッキに1枚入れておくと有効。

 

 

6点

痛ましい記憶/あふれ出るマナ

デッキの枚数だけダメージ/シールド。

安定しないが1マナ20点も夢じゃないロマン枠。

採用するならデッキの回転率には気を付けること。

 

アイスストーム

ランダムじゃなかったら強かった。

タイマン戦ならマジックアロー並みのダメージソースになってくれる。

 

アーニング

0マナで性欲が手に入る。

赤コストベースのデッキなら有能。

それ以外では効果が薄い。

 

ハートアタック

1性欲8点火力。

コストが軽いためマナカード中心のデッキでも採用しやすい。

ただのダメージスキルなので他のカードでも代替可能。

 

オーガズム

火力が徐々に上がるようになったハートアタック。

評価としては大きく変わらないのでお好みで。

 

ラピッドミサイル

3マナ5段攻撃。

アンプリファイなどと組み合わせることで一撃必殺火力になる。

コストが重すぎてトドメ専門カードになってしまっているが、手札に残ってくれるのでデッキを圧迫しない。

 

インポテンス

相手の攻撃力が雑に下がる。

それ以上でも以下でもない。

自己バフ持ちの敵が多いため、時間稼ぎ程度に扱うべき。

 

簡易シェル

0マナシールド。

コスト相応の性能。

0マナでもカード1枚割くことになるため全体的にはトントン。 

 

5点

テンプテーション

初期カード。このゲームのこのゲームたる所以。

カード1枚で2ターン拘束できる強力効果。

ボス攻略でも金稼ぎでも重要。

弱点はあまりにも高コストなこと。

使うタイミングは適切に選ぼう。

 

ワールオブアイス

1マナ大量シールドだが、代わりに攻撃力が下がる。

連打してしまうと長期間攻撃力が下がってしまうため、あまり枚数を増やしたくはない。

初期カードとして入っているためこれに救われることも多いのでは?

 

セックス

全体弱体化。

効果はショボいがノーコスト。

強くも弱くもない微妙枠。

 

ノヴァ

体力消費して全体大ダメージ。

弱くはないが多段攻撃系の方がダメージ出せてしまうのがなんとも……

 

トランキュリティ

4性欲2マナ。

貴重なマナ回復カードだがいくら何でも高コスト。

安定して回せるなら強い。

 

グレートウォール

初期シールドの高コスト版。

それ以上でもそれ以下でもない。

ヘイストが優秀過ぎるのが難点。

 

ショックウェーブ

1マナ全体攻撃。

初期ダメージカードより強いが、それだけ。

採用してプラスも小さいがマイナスも小さいカード。

 

アトラクション

アーニングの下位互換。以上。

 

タイムディレーション

インポテンスと似たようなもん。

 

パウンス

シールドと同数値ダメージ。

こいつを有効活用するためにはまず防御をしっかりすることが大前提。

ただそうするためにはこのカード自体のコストが重すぎるため

 

ディメンションディバイド

 

 

4点

コンセントレイション

多段攻撃系のカードでいい。

 

ウィクネス

いろいろ付いてくるけどいろいろ効果が小さい。

0コストならまだしも……

 

バイティングウィンドウ

2コスト全体出血。

出血はそもそも重ねてなんぼのカードなので、重たい全体出血より軽い単体出血を連打した方が強い。

 

歪んだ恋

効果は強いが3コストは重過ぎる。

 

ライトニングストライク

ショックウェーブの2マナ版。

さらに使いどころが減ってる。 

 

3点

スパーク

エクセシブブリーディング

デザイア

初期攻撃・初期シールド 

クライマックス

パサネイトヒット

オポチュニティー

ディップキス

 

2点

マゾヒスト

ライジングフロンアシュ

ブラックホール

ソールドレイン

剥ぎ取り

穢れた血

 

1点

カオスシード

ダストオブラスト

 

 

装備品評価

 

力があふれる杖10点

カードを増やさないとアップグレード。

これがあるかないかでアップグレード回数が全然変わる。

終盤になればなるほどカードを増やすのがデメリットになるのでほぼ必須。

 

クリピアシング 9点

性欲カードがキャントリップになるカード。

性欲カードに強力カードが多いためデッキの回転率が大幅向上する。

 
儀式用の頭蓋骨 9点

戦闘終了後回復。

そりゃ強いわ。

 

純粋な水 9点
スペルブック 9点

最初だけ+1マナ&最初だけ2ドロー。

最初のターンは排除カードを使うためマナが欲しい。需要とマッチしているカード。

 

防御の指輪9点

自動シールド供給。

やまびこ1枚分がノーコスト自動発動と考えるとわりとおいしい。

 

英雄のクロック 9点

最初に使った廃棄カードを2回使えるようになる。

アンプリファイ2回でも壊血病2回でも強い。

 

あとはてきとー。

 

懐中時計 8点

欲望の象徴 8点

加速者 8点

魅力の耳飾り 8点

口づけの残香 8点

復讐者のプライド 7点

ラッキーダイス 7点

苦痛の心臓7点

犠牲者の涙7点

上昇の杖7点

魔法の布 7点

枯れたバラ6点

恐怖の象 6点

デモンスレイヤー 6点

盾 6点

エッセンスコックテール 5点

誕生調律ポーション 5点

 

セクスカリバー 5点

犬の首輪5点

バナナ5点

チェリーケーキ5点

ラッキーダイス5点

赤ワイン 4点

チーズ4点

肉の塊 4点

拘束用のロープ 3点

振動する機械 3点

望遠鏡 3点

労働者の手袋 3点

レモン 3点

鍵 2点

香水 2点

古いエロ本1点 ただのお金。

ろうそく 1点

 

 

 

『夜歩く』 赤と黒の一幕

 

夜歩く【新訳版】 (創元推理文庫)
 

 

ディクスン・カーのシリーズ物、バンコラン判事の一編。

その中でもバンコランのデビュー作になったのが本作である。

発表は1930年。およそ100年前の作品ということもあり、ミステリとしては正直イマイチ。

ただ、個人的にはこの作品、あまり嫌いになれない部分がある。

20世期前半のパリ、あの時代が産んだ魔窟の空気が漂っているような気がするからである。

 

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旧版の表紙。あとで「グランギニョールっぽい」と書いたが、日本で刊行された短編集のタイトルもグランギニョールである。

とある公爵の結婚式が開かれた。

結婚式のあと夜のバーに繰り出した面々の中に、悪魔じみた伊達男が一人。

彼の名はアンリ・バンコラン。

本来は予審判事の彼だが、今は公爵の友人としてボディーガードを頼まれている。

理由は一つ。新婦の元夫である凶悪な殺人犯が公爵を狙っているからだ。

しかもその男、整形して今の顔がわからないと来ている。

会場にくまなく気を配るバンコランだが、やがて監視された室内から公爵の首切り死体が見つかる。

犯人はいったいどこへ消えたのか?

 

トリックとしては密室トリック+入れ替わりもの。正直ここは「整形した殺人鬼」が出てきた時点でだいたい予想がつくだろう。

現代の読者なら、新婦が怪力持ちのリアル吉田沙保里(失礼)みたいな人であることを考えれば、容易に真相に辿り着けるだろう。

なので正直、本作品をミステリとして見ると正直イマイチである。

ただ、本作をキャラクター小説として見ると、これがなかなか面白い。

ケレン味の効いた登場人物が目白押しである。

 

まずは何と言っても主人公、バンコランだろう。

悪魔みたいな山羊髭の胡散臭い伊達男。

夜のパリの闇がなにより似合う紳士。

創元推理文庫の表紙イラストは非常によくできている。

いかにもグラン・ギニョールというキャラクター性にグッとくる。

 

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創元推理文庫版の表紙。いやぁこの表紙、とてもよくできている。

 

それに新婦ルイーズ。彼女こそまさに本作の主人公と言えるだろう。

凛とした孤高の存在のような姿を見せながら、それでいえ誰よりも乙女として生きる人間。

この点でも表紙イラストのイメージがピッタリ。

ムーラン・ルージュっぽい外見が「夜のパリの女王」感、そしてその奥に潜むはかなさをキッチリ醸し出してくれている。

 

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マン・レイ「モンパルナスのキキ」。ルイーズのイメージは完全に彼女である。

 

このほかにも胡散臭さ満点のキャラクターがバンバン登場する(そしてバンバン死んでいく)。

でも中心はこの2人。この2人に乗り切れるかどうかが本作の鍵だ。

 

殺人鬼の潜む夜のパリ、その湿った空気の中に首切り死体と血の池地獄

追うは悪魔紳士バンコラン、その中にたゆたう美女ルイーズ。

このケレン味に酔いしれるのが本作を楽しむ秘訣。

さあ、パリの夜へ漕ぎ出そう。

 

 

Flip the Next Coin...

『皇帝のかぎ煙草入れ』:同作者。こちらは現代でも通じるレベルのミステリ。

 

『ナジャ』:1920年代パリのヤバさがわかる一冊。大物勢揃い。

ナジャ (岩波文庫)

ナジャ (岩波文庫)

 

 

『コーヒー&シガレッツ』:1920年代のパリ、そして1970年代後半のニューヨークに乾杯。

コーヒー&シガレッツ [DVD]

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  • 発売日: 2010/04/16
  • メディア: DVD
 

 

 

 

 

 

 

『氷』 絶望の結晶がひとかけら

 

氷 (ちくま文庫)

氷 (ちくま文庫)

 

 

虹色の氷の壁が海中からそそり立ち、海を真一文字に切り裂いて、前方に水の尾根を押しやりながら、ゆるやかに前進していた。青白い平らな海面が、氷の進行とともに、まるで絨毯のように巻き上げられていく。それは恐ろしくも魅惑的な光景で、人間の眼に見せるべく意図されたものとは思えなかった。その光景を見下ろしながら、私は同時に様々なものを見ていた。私たちの世界の隅々までを覆いつくす氷の世界。少女を取り囲む山のような氷の壁。月の銀白色に染まった少女の肌。月光の元、ダイヤモンドのプリズムにきらめく少女の髪。私たちの世界の死を見つめている死んだ月の眼。

ちくま文庫で再販されるまで希少本として有名だった一冊。

作者はアンナ・カヴァン

SF界の大御所に絶賛された本作は、しかしあらすじとしてはかなり素直。典型的なロードムービーの様相だ。

 

男が少女を追っている。

氷河期が徐々に近づき、崩壊していく世界の中で、少女はとある国へと逃げていったのだ。

少女を追ってたどり着いた国では、長官と呼ばれる男による独裁政治が敷かれていた。

男と少女、そして長官による三角関係。

迫りくる氷河から逃げながら、男は少女を捕まえ、また手放しながら旅をする。

 

都合上「氷河」と書いてしまったが、実際のところ「河」というのは語弊がある。

作中の氷河は水の川のような、足元から流れてくる流れではない。

それは壁だ。

人間のサイズをゆうに超えた巨大な壁が、人を、家を、生活を押しつぶしていく。

 

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温度も音も感じない氷の壁は、バトルロワイヤルゲームのエリア縮小のイメージに近い。もっとも、壁自体が非常に美しいのだが……画像はhttps://gameisbest.jp/archives/30755 より。

 

世界が狭まる。

滅びは避けられない。

気候はどんどん寒くなり、氷に覆われた地域はもはや立ち入ることも許されない。

地球をカバーしようとする氷からは、しかし冷たさを感じない。水晶のような氷だ。

この作品に登場する氷河は、観念上の氷と言ってもいい。

まさにビジョン。

氷のビジョンに囲まれて、形而上の少女が駆け回る。

 

氷の結晶の強烈な輝きに視力を奪われて、少女は自身もまたこの極地のヴィジョンの一部になったように感じる。自分という構造が氷と雪の構造と一体化したように感じる。みずからの運命として、少女はこの輝き揺らめく死の氷の世界を受け入れ、氷河の勝利と世界の死に自信を委ねる。

 

氷のビジョンはどこまでも鮮烈だが、人間たちの姿はひどくおぼろげだ。

語り部以外の心理描写はほぼ出てこないし、アクションシーンなんか「投げ飛ばした」の一言で終わってしまう。

有り体に言ってしまえば、おざなりな表現と言ってもいい。

本作に登場する人物は、氷と同じくらい概念上の存在だ。

長官と語り部は同一人物のように捉えられ、夢の中で少女の姿は明滅する。

氷のレンズを挟んだ向こう側で3つの影がぼやけて重なり、また離れていく。

  

『氷』の真髄はそのビジョンにある。

ほのかに輝く氷の壁。世界の終末。

閉ざされてていく円の中で、3つの影が踊っている。

個人的にはノリきれなかったが、このビジョンが稀有なことはよくわかる。

水晶の中に閉じ込められた2人の男と、1人の女。

光に透かして眺めたい、絶望の結晶。

 

周囲にめぐらされた壁の群れに、私たちは捕らえられていた。亡霊のような死刑執行人たちの輪がゆっくりと無慈悲に迫ってくる。私たちに死をもたらすために。私は動くことも考えることもできない。執行人の息が体と脳を麻痺させている。私は氷の死の冷気が触れるのを感じ、轟きを聞き、まばゆいエメラルドの亀裂を走らせて氷が割れるのを見る。 頭上はるかな高みで、ギラギラと輝く氷山の頂が、重いうなりを上げて震え、今にも崩れ落ちてこようとしている。少女の方にきらめく下、氷の白さに染まった顔、頬をかすめるほどに長いまつげ。私は少女を胸元に引き寄せ、固く抱きしめる。落下してくる山のような氷の巨塊を少女が見なくてすむように。

 

 

Flip the Next Coin...

『ロリータ』:男と少女のロードムービーだが、ある意味真逆に位置する作品。

ロリータ (新潮文庫)

ロリータ (新潮文庫)

 

 

『別荘』:完全包囲つながり。こちらは氷ではなく綿毛。

別荘 (ロス・クラシコス)

別荘 (ロス・クラシコス)

 

 

『青い脂』:長官の脳内イメージがスターリンなのは多分こいつのせい。

青い脂 (河出文庫)

青い脂 (河出文庫)

 

 

 

 

 

 

『白鯨』 泳げ悪の真珠

 

白鯨 (上) (角川文庫)

白鯨 (上) (角川文庫)

 

 

白鯨 (下) (角川文庫)

白鯨 (下) (角川文庫)

 

 

重力の虹』に続いてパラノイア文学のご紹介。

みんな知ってるけど読んだことはないメルヴィルの『白鯨』である。

「白いクジラと戦う話」っていうのはみんな知っているところだが、読んだことがないのは大きな理由がある。

中盤に鯨についての学問的な記述が大量に入っているのだ。

仇敵の白い抹香鯨、モービィ・ディックが出てくるのは終盤100ページくらいであり、そこまでは延々捕鯨とクジラの知識を詰め込むゾーン。

この中盤が大きなハードルになっており、実際グレゴリー・ペックの映画版では(尺の都合もあって)見事に中盤がすっ飛ばされた。

中には「中盤の退屈さは捕鯨の退屈さを表しているんだ」なんてのたまう人までいる。

しかし私は断固として言いたい。

この作品、中盤こそが屋台骨なのだと。

 

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グレゴリー・ペックの『白鯨』。こちらも秀作。

 

さて、中盤のことを語る前に全体、および中盤以外の部分について触れておこう。

序盤を出港まで、終盤をレイチェル号登場あたりからと考える。

序盤と終盤だけを繋げてみると(つまり出港直後にモービィ・ディックと出会ったとすると)、そのストーリーはさながらクトゥルフ神話のエピソードに近い。

つまり人智を超えた存在=白鯨と、それを追う探索者=エイハブという構図だ。

 

作品を通して、白鯨は人智を超えた存在として描かれる。

底知れない悪意と老獪な機智を持った、不気味なほど白い鯨。

人間のスケールを超えた長い年月を生きるそいつは、不意に現れては捕鯨船を沈めていく。

白鯨は海の脅威の象徴である。

地球の表面の7割を覆う海は、人間にとってあまりに巨大な、あまりに謎の多い存在だ。

『白鯨』における海がどんなものかは、ピップ発狂のエピソードを見ればわかるだろう。水面に一人たたずむ人間の心を、海は容易に引きずり込む。人のたどり着けぬ、暗く不可思議な深海へと。

モービィ・ディックは海の象徴。

コズミックホラーで描かれる邪悪な存在、悪神そのものだ。

 

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底知れぬ、先も見えぬ海は人間の根源的な恐怖を呼び覚ます。もっとも、この写真はたぶん池だと思うが……

 

対するわれらがエイハブ船長、こちらもただの探索者ではない。

邪悪なものと偶然出会ってしまった、なんてそこらの探索者と一緒にしてはいけない。

エイハブは一度白鯨と戦い、敗れ、にもかかわらず白鯨を追いかけるのだ。

クトゥルフTRPGに詳しい人はご存じだろうが、探索者にはSAN値(正気度)が用意されており、これがなくなるとその探索者は行方不明になる(ロストする)。

上記ピップのエピソードがわかりやすいだろう。

一度やられた探索者が銛を持ってわざわざクトゥルフを探しに行くなんて、正気の沙汰ではない。

しかも、何も知らない船員たちを抱き込んでである。

作中で繰り返し描かれるように、エイハブは正気ではない。少なくとも合理的ではない。

人智を超えた邪悪な存在に、犠牲を出しながらも突き進む憎悪の狂人!

 

「おお、エイハブ」とスターバックが叫んだ。「三日目だが、今思いとどまっても手遅れではない。見なさい! モービィ・ディックはあなたを探してはいません。あなた、あなたこそ、狂気のように彼を探しているのだ!」

 

これだけでも実にエキサイティングな構図だが、メルヴィルの筆はさらにその上を行く。

優しい(?)人食い人種クィークェグ、エイハブに唯一逆らう航海士スターバック、エイハブの(対等ではないが)唯一の現身パーシーをはじめとして、本作の登場人物は非常に魅力的だ。どいつもこいつも癖が強すぎるのに、全体としては奇妙なリアリティを保っている。

それに加えて文章がおそろしくカッコいい。当時の政治演説に由来すると言われる熱いセリフ回しは、男の子ならだれでも盛り上がることだろう。

 

「我汝に、神の名においてにあらず、悪魔の名において洗礼を施す!」

邪心ある鉄が焼き付くように洗礼の血を吸った後、エイハブがうわごとのようにわめいた。

 

序盤と終盤だけでも本作が魅力的なことに疑いはない。

それはグレゴリー・ペックの映画版が証明してくれたことだ。

しかし、最初にも言ったように、本作はやはり中盤が重要だと思う。

なぜかといえばそれは、モービィ・ディックが海の脅威であると同時に、一匹の鯨であるからだ。

 

もう一度クトゥルフ神話を例にとろう。

クトゥルフ神話の重層的な世界観は多くのファンが認めるところだろう。

ラヴクラフトは(あるいはダーレスは)その世界観を無数の掌編の積み重ねによって作った。

有名な『インスマスの影』のような作品は実際のところ小説としてはかなり短めであり、それらの中で描かれたのはクトゥルフ神話の世界観のごく一部に過ぎない。

複数の小説(あるいは設定)が同じ世界観に基づいて描かれることにより重厚な神話世界を描写したのがクトゥルフ神話のやり方である。

それに対し、メルヴィルは『白鯨』一作で重厚な世界観を描き切ろうとした。

その結果生まれたのが、鯨に関する短い短文を無数につなぎ合わせたあの中盤だったのである。

 

メルヴィルは『白鯨』を寓話として描くことを好まなかったのだろう。

もし中盤がなければ、モービィ・ディックは「悪神のような存在」ではなく「悪神そのもの」ととられかねない。それでは寓話になってしまう。

そうではないのだ。メルヴィルは鯨という種の永続性については書いているものの、モービィ・ディックという個体の永続性については書いていない。

モービィ・ディックは底知れぬ海の象徴ではあるが、同時にあくまで一匹の鯨だ。

質量をもたない象徴ではなく、重みと風と衝撃を持った一匹の白鯨なのである。

 

それ故、いろいろの事情にかかわらず、鯨が個体としていかに死滅するものであっても、種族としては不死であると、俺たちは考えるのだ。彼は所大陸が水を横断する前に海を横断して泳いだ。彼はかつて、チュイルリー宮殿、ウィンザー城、クレムリン宮殿の現在の所在地の上を泳いだ。ノアの洪水の時には、彼はノアの方舟を軽蔑した。そしてもし世界が、その鼠を絶滅するため、ネザーランドのように、ふたたび洪水に覆われるとしても、不滅の鯨はなお生き残り、赤道の洪水のいちばん高い波頭に立ち上って、空に向かって泡立つ反抗の汐を噴き上げることだろう。

 

さて余談になるが、中盤のことに触れるならスタッブのことに触れないわけにはいくまい。

われわれが曲がりなりにも中盤を楽しめるのは、何をおいてもスタッブのおかげなのだ。

先ほど分けた序盤・中盤・終盤の中で、それぞれの立役者は以下になるだろう。

序盤はクィークエグとイシュメール。終盤はエイハブ(およびその落とし子パーシー)とスターバック。

そして中盤は、スタッブとその(文字通りの)落とし子ピップである。

実際、スタッブはいいキャラである。常にパイプをくわえ、軽口と悪口を吐き出しながら、しかしプロとしての手腕をいかんなく発揮する。

中盤の鯨取りのほとんどでスタッブが銛を投げており、そういう意味でもスタッブは中盤のガイド役なのだ。

某コーヒーチェーンのせいでスターバックばかり取り上げられるが、あくまでもスターバックはエイハブではなくスタッブの鏡写し。

スタッブはもっと注目されていいように思うのである。

 

 

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スタッブの脳内イメージはなぜかコイツだった。パイプ爺ならぬキセル爺。

 

メルヴィルラヴクラフト、二人の作家が人智を超えた存在を海洋生物として捉えたのは、何かの偶然なのだろうか。

果てしなく広がり、無数の人間を呑み込み続ける暗い海。

その海底を泳ぐ白鯨は、まさに真珠だ。

底知れぬ海の悪意をその身に詰め込んだ、不気味に輝く真珠である。

 

いまは小さな水禽たちが、パクリと口を開いたままの深淵の上を鋭い声で鳴きながら飛び、不機嫌な白波がその険しい側面を打った。

やがてすべてが崩壊すると、海の大いなる屍衣は、五千年の昔に変わらぬうねりをうちつづけた。

 

 

Flip the Next Coin...

バートルビー』:同作者。物語の中心はやはり「理解できない存在」。

kambako.hatenablog.com

 

『ブラッド・メリディアン』:大きな影響を受けた後輩。海と荒野、船長と判事。

 

『Return of Obra Dinn』:海の邪悪が口を開ける。

kambako.hatenablog.com

 

 

 

『バートルビー』 人間バートルビー

 

書記バートルビー/漂流船 (古典新訳文庫)

書記バートルビー/漂流船 (古典新訳文庫)

 

 

「人間は考える葦である」と言ったのはパスカルである。

「人間は心を持った機械である」と言ったのはデカルトである。

人間の定義は様々だ。他にも「遊ぶ人」(ホモ・ルーデンス)や「作る人」(ホモ・ファベル)などがある。「人間とは~」で始まる言葉は、名言集を引けば枚挙にいとまがないが、いずれにせよ「何かをする」ことが人間の定義だった。

では、バートルビーとは何だったのか? 

彼は仕事も、思考も、すべてをやわらかに拒絶した。

彼はすべてのものを「しないほうがよい」と言い、生きることすらしなかった。

彼は「何もしなかった」。しかし彼が人間でないとしたら、いったい何と名付ければいいのか?

 

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ウォール街には一度だけ行ったことがある。石造りの軒先から溶けた氷柱が滴り、ウォール街の住民の設備投資への認識を痛感したものだ。

バートルビー』の舞台はウォール街だ。

主人公の弁護士は書記としてバートルビーを雇い入れるが、バートルビーはいつの間にか事務所に住み着いてしまう。

彼には奇癖があった。筆写の仕事は黙々とこなすものの、それ以外の仕事は一切断るのだ。

どんなに小さなことでも、彼はこう言って拒絶する。

"I would prefer not to"(「そうしないほうがいいと思います」)

やがて彼は書記の仕事すら拒否するようになり、事務所から出ることも拒否するようになる。

生き馬の目を抜くウォール街の中で、バートルビーは固定された点のように、何もしない。

ただじっと、ウォール街の「ウォール」を見つめている。

 

白鯨 上 (岩波文庫)

白鯨 上 (岩波文庫)

 

 

本作を読み解く上での副読本は、やはり『白鯨』だろう。

『白鯨』でも『バートルビー』でも、メルヴィルの中心テーマは「理解できない何か」だ。

『白鯨』の場合のそれはモービィ・ディックであり、『バートルビー』の場合のそれはバートルビーだ(偶然かもしれないが、どちらもタイトルになっている)。

モービィ・ディックは海が持つ底知れぬ悪意の結晶である。誰にもモービィ・ディックの真意を読み取ることはできない(そりゃあ、クジラだからね)。

モービィ・ディックは(全面的にではないにせよ)人智の及ばぬ超常の存在としての一面を持っている。

一方バートルビーもまた、世人には理解されぬ存在だ。

仕事として当然手伝うべきことをしない。

クビになっても出ていかない。

食事はほとんど取らない。

睡眠と着替えはどうにかしているようだが、それも生存最低ラインを確保できているか怪しいものだ。

作品のほぼすべてを通して、バートルビー人智の及ばぬ存在として描かれている。

語り部は彼を理解しようと試みるが、最終的には諦めに似た親愛をもって理解を捨てる。

 

そうだ、バートルビー、仕切りのそちら側に居続けるがいい、わたしはもう君を煩わせたりはしない。

 

このまま終わっていたら、おそらく本作はただの寓話で終わっていただろう。

しかし『白鯨』でも『バートルビー』でも、メルヴィルのすごいところはこの後にある。

バートルビー人智を超えた存在として描く流れから、最後の瞬間に一気に飛び立ち、人間扱いするのだ。

そう、『バートルビー』の作品内において、バートルビーは寓意ではない。

どれだけ人間離れした行動をとろうとも、どれだけ語り部が理解できなくとも、バートルビーはやはり人間だ。肉体を持った、一人の人間として扱われている。

 

もしこれが寓話であったなら、読者は「バートルビーは何の象徴か?」と考えることだろう。

そして自らの理解の中にある何かをあてはめて、この本を閉じてしまうことだろう。

しかしこれは寓話ではない。バートルビーは何の象徴でもない。

いかに理解できなくとも、いやむしろ理解できないからこそ、バートルビーは人間だ。

そして人間だからこそ、生はかくも奥深いのである。

 

ああ、バートルビー! ああ、人間の生よ!

 

 

Flip the Next Coin...

 

『白鯨』:メルヴィルの代表作。長さも熱さも段違い。

kambako.hatenablog.com

 

 

弥次喜多inDeep』:「寓話じゃない」としてBSマンガ夜話で取り上げられた。

弥次喜多 in DEEP 1 (ビームコミックス)
 

 

 

 

やりたいことが見つからない人は定義を間違ってるんじゃないの的な話

知り合いが悩んでたので。

 

なぜやりたいことを見つけるのか?

「やりたいことが見つからない!」いう人は多い。

でもやりたいことを見つけようとする目的っていったいなんだろう?

進路を決めるため?

人生に張り合いを持たせるため?

多分そのどれもが正解だと思う。

ここでは「人生の中で一つの成果を作るということを最終目標に次にやることを決めるため」としておく。

 

やりたいことは夢ではない

上で書いたやりたいことの目的をもとに考えると、「やりたいこと」と「最終目標」は違うことがわかる。

「やりたいこと」は「次にやること」の部分にあたるのであり、「最終目標」の部分ではない。

これは進路を考えるときのことを考えるとわかりやすい。

進路を考えるタイミングで必要なのは「次にやること」(どの学部の入試を受けるかなど)であって最終目標(どんな研究がしたいか、将来の夢など)ではない。

もちろん最終目標と次にやることは繋がっていた方が良いと思うが、少なくとも同じではないことはわかるだろう。

 

この点からわかることは、やりたいことを過度に重く捉えてはいけないということだ。

人生の中で達成したい成果(夢)を決めろ!と言われたらそれは詰まるだろうが、次にやることを決めるだけならいくらでも修正できる。

後でも書くが、やりたいことを重く捉えないことがやりたいこと探しの鉄則。

まず走り始めることが大事、なにごとも。

 

やりたいことは一つではない

やりたいことを「寝食を忘れて熱中できるようなこと」だと思ってる人も多い。

はっきり言おう。そんなことを見つけた人はほとんどいない。いたとしても歳取るにつれてそもそも身体がついてこなくなる。オールとか無理だからそんなの。

食の話ついでにお昼ごはんを選ぶことを考えてみよう。

せっかく食べるなら好物を食べたいもの。

でもだからといって、食べてる間はすべてを忘れられる大大大好物じゃないといけない、というわけではないだろう。

パンケーキ食べてる間は幸せになれる人だって、毎日パンケーキを食っているとは限らない。

ある程度好きなものなら普通にオッケー、そんなもんじゃなかろうか。

やりたいことも同じだ。「次にやること」なんだから気張る必要はない。

ある程度やりたいと思えるもの、それを複数用意しておけば、あとは適当にローテーションさせればいい。

そもそも最終目標に至る道において、一つのことだけやってればいいなんてことは滅多にないし、一つのことをやり続けてウンザリしてもしょうがない。

歴史上の偉人だって、みんな気晴らししてたのだ。

 

やりたいことは「こと」ではない

お昼ごはんの例をさらに考えてみよう。

今度は他人をお昼ごはんに誘う場合だ。

「好きな食べ物は?」と聞くと「ハンバーグとか、シチューとか、パスタとか」と返ってきたとする。

この場合、「そのなかで一番は?」と聞く必要があるだろうか? 好きなもののラインナップを見る限り、だいたい洋食屋に連れてけば大丈夫ではなかろうか?

さっきも言った通り、やりたいこと(=好きな食べ物)は1つではない。1つに絞る必要がない。

次にやることを決める上で大事なのは、沢山あるやりたいことの共通点だ。

「洋食」なり「甘いもの」なりなにかしらの共通点を見つけておけば、昼食に困ることはなくなる。つまり、波はあるにせよいつでもやりたいことができるようになる。

やりたいことが見つからないという人の多くはある一つの特定の行為を探そうとしているのではないだろうか?

やりたいこととはそういうものではなく、むしろ小さな好みが寄り集まってできる傾向なのだ

 

やりたいことは探さないと見つからない

それでもやりたいことが見つからないという人へ。

やりたいことを探していない、というのはないだろうか?

いや言いたいことはわかる。色々考えているけどもやりたいと思えることがないのだと。どんなものにも興味が持てないのだと。

しかし実際に、物理的にみたときに、あなたはいったい何をしているだろうか? ベッドの上でグータラしているだけではないだろうか?

厳しいことだがハッキリ言っておこう。

もしやりたいと思えることが見つからないのなら、それは一見やりたくないと思っていることの中にしかない」。

見える範囲にやりたいことが見つからないのなら、見えてないところにしか答えはない。

つまり、「どうせ面白くないだろう」と思ってやっていないことや、そもそも知らなかったことのなかにしかやりたいことの可能性は残っていない。

もちろん、「どうせ面白くない」と思っていたことは、実際やってみても大抵面白くない。それはしょうがない。砂の中から砂金を探すような取り組みだ。ほとんどの場合は期待外れに終わるだろう。

でも見つけたいのなら探すしかない。

さあスマホを捨て、街へ出よう。

いろんなものを味見してみよう。

そこからしかやりたいことは見つからない。