リチャード・ポワイエによる『重力の虹』の最初期のレビューを翻訳してみる ①

原文:https://gravitys-rainbow.pynchonwiki.com/wiki/index.php?title=Rocket_Power

筆者は別に英語得意じゃないので間違いとかは指摘してください。

 

ロケット・パワー

1973/5/3The Saturday Review、リチャード・ポワイエ

 

1963年にトマス・ピンチョンが有名となるきっかけとなり、その後彼に会ったり写真を撮ったりインタビューしたりしようとした人一切を困惑の渦に叩き込んだ『V.』は、非常に多様かつ多重構造を持った作品であり、文学史上最も優れた処女作であり、一線級のバランスと文体的なリソースを持つ十年に一度の傑作である。

その3年後には『競売ナンバー49の叫び』が出版されたが、こちらは『V.』よりかなり短くなったという理由だけ考えればよりとっつきやすくなったと言えるが、『V.』から特に複雑な部分を抜き取ってきたという印象である。

そして今、『重力の虹』が出版された。

V.』よりも野心的、(その中心的な謎が暗号から超音速ロケットへと変わったという点で)より時事的、かつより複雑となった『重力の虹』を、ピンチョンのファンが今までイメージしてきたピンチョン作品の体系(つまり、「終末」と「エントロピー」の体系)の中にあてはめることは難しい。

 

ピンチョンは36歳にして、歴史的に重要な小説家としての地位を確立した。

ノーマン・メイラーを含む他の生きている作家全員と比べても、ピンチョンは最も歴史的に重要であると言わざるを得ない。それは、目に見える形で現れる技術の中にある目に見えない我々の時代の動きをとらえることに成功している点からである。もっとも、彼は「歴史的」と言われることを好まないとは思うが。

重力の虹』において、彼のこれまでの作品以上に、歴史はノイローゼの一形態、時の流れに対する人間の進歩的な試みの記録として描かれている(これはノーマン・O・ブラウンが『エロスとタナトス』で示したのと同様だ)。

そんな歴史を記録するだけでも非常に骨が折れる作業だ。歴史を紡ぐ人間はファウスト的な人物だと言わざるをえない。

本書にもロケット工学の天才ブリツェロ大尉やパヴロフ行動学者エドワード・ポインツマンなどのファウスト的な人物が登場するが、しかし一方で、彼らは明らかに自分たちが支配していると思っているシステムの奴隷になってしまっている。

 

ピンチョンにとって、ファウスト的な考え方についての20世紀特有のコミカルな恐怖は、それがもはや個人の狂った英雄的行為の中には存在し得ないということである。

それらは官僚的企業の一部であり、歴史を(この本でロケットが最後に辿る道筋のように)「不可逆的」な道筋へと固定してしまう技術体系の一部なのだ。

この点から、すべての歴史の非属人化は、我々にマゾヒスティックな共同作業を強いる技術体系を伴った、どこか不合理なものとして想像されている。

このマゾヒスティックな共同作業はある登場人物にも表れている:彼女は降伏の中でではなく、絶望の中で自分の尻に鞭をうつ。自分がまだ人間であり、泣くことができる存在であるかどうかを確かめるために。

重力の虹』における究極の鞭、システムが生み出す最終産物、それは超音速ロケット。第二次世界大戦におけるドイツのV2ロケットである。ピンチョンの恐るべき本の中で、それはモビー・ディックとピークォッド号の合体版、処女と絶倫の合いの子である。

 

もしこの本の中にピンチョンが現代の技術・政治・文化の複雑なネットワークを複製したとするならば、『重力の虹』の文体とその目まぐるしい移り変わりは、今日のメディアや運動の特徴である、どんどん速くなる一つのモードから次のモードへの移り変わりの目まぐるしいテンポを再現したものである。

本書で繰り返し描かれるメタファーと同様に、我々は今まさに人間の「領域」を、「重力」とそれによる自然の美を超えて運ばれつつあるのである。我々の上昇において、安全な「帰還」も再突入も使い果たされてしまった。ただ自滅的な形でしか、地球を我々のか弱く、時に支配された魂にとって素晴らしい「我が家」にしてくれた大気圏に帰るすべはないのである。

 

ピンチョンの中で私たちは、私たちの情熱・エネルギー・欲求を結び付けた物体によって、自分自身に「帰る」のであり、我々の祖先が記憶しているあの地球へと帰るのである。

我々は若きゴッドフリート、あの特別にナンバリングされたV2ロケット00000号の中に入れられることを承諾した兵士となり、(彼が見ることができたなら)忘れられない光景の中で音速を超えて打ち上げられ、そして確実な死に向かって落ちていくのだ。

 

 ②↓

kambako.hatenablog.com

 

"Return of the Obra Dinn" 海に浮かぶ棺

*ネタバレありますがクリアにつながるヒントはほとんど記載していません。

 


Return of the Obra Dinn - Available Now

 

見渡す限りの黒い海。

やがて訪れる嵐の気配。

5年の時を超えて、乗組員の亡骸を載せて帰還した幽霊船。

白黒の点描で描かれたオブラ・ディン号の上で、プレイヤーは一人徘徊する。

抑えきれない心細さと、そこから生じる幽霊たちへの親近感。

そしてふと気づくのだ。彼らは死んでしまったのだと……

 

-あらすじ

時は1802年。200トン以上の交易品を積んだ商船「オブラ・ディン号」が、ロンドンから東方に向けて出港した。その6か月後、同船は予定されていた喜望峰への到達を果たさず、消息不明扱いとなった。

そして今日、1807年10月14日早朝のこと。オブラ・ディン号は突然、ファルマス港に姿を現す。帆は損傷し、船員の姿も見えない。これを受け、東インド会社ロンドン本社所属の保険調査官が、ただちにファルマス港に派遣された。同船内を直接調べ、損害査定書を作成するために――。

「Return of the Obra Dinn」は、探索と論理的推理で展開する、一人称視点の謎解きミステリーアドベンチャーゲームである。

 

"Papers,please"の作者による推理ゲーム。

PCゲーには珍しく(?)いろんなコンシューマー機にも移植されている。なんかすごい賞も受賞したらしく、すごく評判がいいらしい。

実際、それに恥じない傑作だったと思う。

ゲームデザイン、音楽、それらすべてが融合したストーリーテリングの傑作だ。

 

幽霊船に小舟で乗り付けた主人公は、死の瞬間を垣間見ることができる不思議な懐中時計を使い、行方不明になった船員たちの行方を確かめることになる。

ゲーム的には、死体(もしくは死体跡地)を見つける→死の瞬間を見る→身元を特定するの繰り返し。

かなり絶妙な難易度設定になっており、人によっては久々に歯ごたえのあるゲーム体験になるだろう。本作第一の魅力だ。

60人もの人間の死を、たった一人で見なければならない。それだけでも精神的に若干キツいものがあるのだが、それをさらに駆り立ててくるのが現実世界での船の描写。

見渡す限り真っ黒な海、やがて訪れる嵐の予感、にもかかわらずゲーム中での現実世界は全くの無音なのだ。こんな状態で無人の船の中を歩き回るのはゲームだといってもかなり心細くなる。

ワトソン君さえ隣にいてくれたら……(一応船まで送ってくれた爺さんがいるんだけど、甲板に上がってこないので全く存在感がない。というか信用できない。最初こいつが黒幕なんじゃないかと思ってた。船降りるときにニターッと笑った爺の顔のアップになってバッドエンドみたいな)

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Nintendo Switchの該当ページより引用。きれいな景色に見えるが(だからこそ)歩いてるとマジで人恋しくなる。

 

無音の現実世界にいると、どうしても他の人間の存在を感じたくなる。

そんな状態から過去の世界に飛び込むと、そこはまさにスペクタクルの最中。

心からのいさかいの声、命が消えるまさにその瞬間の光景、鳴り響くドラマティックな音楽。"Soldiers of the Sea"の音楽とかすごくいいよね。葬式の鐘を想起させるあの響き。

過去世界から現実世界に戻った時、プレイヤーはきっとこう感じることだろう。

「はやく次の死体に行きたい!」と。

本作二つ目のポイントは、この現実世界と過去世界の落差にあると思う。

大事件の最中にある過去世界に対して、現実世界はあまりにも静謐だ。

その落差こそがゲームを進める原動力となる。

船員たちに次第に親近感を覚えるようになったプレイヤーも多いのではなかろうか?

次のスペクタクルを求めて、気づけば過去世界に入りびたりになってしまうのだ。


Return of The Obra Dinn | Soldiers of the Sea | OST

 

飛び込んだ過去世界で描かれるのは、超常と日常が接する物語。

オブラ・ディン号が遭遇する災難は、ある種オカルト的なエピソードだ。

こっち方向に行ってほしくないと思うプレイヤーも多いことだろう。船員の反乱とか。

ただまあ、60人失踪はオカルトなしではなかなかキツいんじゃないかなというのが正直な感想だ。

60人全員の殺し合い見るのもワンパターンというか、つらすぎるというか……

とはいえストーリーはかなり優秀、というかちょうどいい塩梅に収まっている。

本作第二の傑作ポイントはこのストーリーの絶妙なバランスだ。

あらすじで描かれる通り、主人公はあくまで現代に生きる保険調査官。

過去に起きたオカルト話の真相を調べることなんてできない。死の瞬間をのぞき込み、船員の身柄を特定することができるだけ。

いくら親近感を覚えても、船員たちを救うことはできない。

生き残った船員たちにも「かかわってくれんなや」と言われてしまう(向こうから見たら知らない人なんだからそりゃそうだ)。

主人公が垣間見たオブラ・ディン号の物語を、主人公は誰とも共有することができない。

絶妙な距離感をもったストーリー、それが"Return of the Obra Dinn" 三つ目にして最大の魅力だ。

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Steam該当ページより引用。彼らの生を、死を見た主人公だが、それを共有する相手はもはやこの世にはいない。

 

60人の命を呑み込み、なお静謐な黒の海。

 

無数の残留思念を抱えたまま浮かぶオブラ・ディン号はまさしく棺。海に浮かぶ棺だ。

やがてプレイヤーは船を降り、陸へと帰っていくのだろう。

分かち合えない死の物語をただ一人、胸に抱えながら。

 

 

Flip the Next Coin...

『白鯨』:暗い海の象徴。

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意識高い系に抜けてるのってここじゃないの的な話-上限突破&下限確保-

 

「意識高い系だよねー」って時々言われる。

個人的にはむしろ意識低い系のつもりだし、反論することはできるんだけど、だいたい親しくない人に言われるのでいつも適当に流している。

実際みんなが言わんとしているところはわからんでもなくて、自分の能力なりQOLなりを高めるための努力を惜しもうとはしていない。二重否定がややこしくなってるけどまあ要するに頑張ってはいる。

でも自分では意識高い系ではないと思っている。昔からちょくちょく思っていたんだけど、自分がメインで考えているのは意識高い系みたいな「上限突破」のアプローチではなくて、むしろ「下限確保」のアプローチなのだ。

 

改善(もしくは成長)には2通りのアプローチがあると思ってる。

それがさっき書いた「上限突破」と「下限確保」。

たとえば人間を生産機械として考えてみる。あるものを生み出すための生産機械。

そのパフォーマンスはコンディンションによって当然ぶれる。つまり、調子がいいとき(上限)と悪いとき(下限)がある。

機嫌がいいときはパフォーマンスは上がるし、体調が悪いときは下がる。それはまあ人間であるからして(いや機械でもそうなんだけど)当然のことだ。

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有限会社東海コンサルティングのHPから引用

グラフの右が調子いい方だとして、人間のパフォーマンスも普通が一番多く、上限と下限が少ない(正規分布かはさておいて)。

 

さてこのパフォーマンスを高めようとする(=成長しようとする)ときに、平均点を高めようとしてはいけない。というかそんな方策はほとんどない。対策がふわふわしてしまって何もできなくなる。この辺が機械と違うところだ。

取りうる方策は2つのアプローチに分かれる。それがさっきの、「上限突破」と「下限確保」だ。

 

・「上限突破」に属するもの

 能力も体力も環境もすべてOKな時のパフォーマンスを高める方策。

 世にいう意識高い系ってだいたいこっちな気がする。

 ホームランバッター的な。

 具体例↓

 ・マインド、根性論。(こいつらは火事場には大事な要素だけど、普段から使ったら体がもたない)

 ・「体で覚える」。反復練習(これは下限の方も上がるかも)。

 ・新しいことに挑戦する。

 ・高給取り。

 ・独断で行動。

 ・栄養ドリンク。ドーピング。

 ・予習。

 

・「下限確保」に属するもの

 調子が悪いときorパフォーマンスの足りない人でも成果を出せるようにする方策。

 安打製造機的な。

 具体例↓

 ・標準化、マニュアル化。

 ・5S。(探し物がすぐ見つかるとき=上限、見つからない時=下限とすると、下限の方の時間短縮の方策だから)

 ・自動化。

 ・フールプルーフ、フェールセーフ。

 ・不労所得

 ・記録・報告。

 ・復習。

 

個人的には下限確保側の方が好きというか、よくやっている方策なので、意識高い系と呼ばれると違う気がする。

この2つのアプローチはもちろん両立できる。というか両立しないと意味がない。

上限突破ばかりでは長くは続かないし、続いたとしても他の人がついてこない。

やろうと思えば掃除できるけど実際は掃除できない、そんな夜を我々は嫌というほど送っているはずだ。

かといって下限確保ばかりではパフォーマンスは上がらない。

マニュアルとか作っても自動化してもそれで達成できるのはしょせん上限の1-2割だ。

 

やっぱりここでも重要なのはバランス。

知っていないもの(上限を超えているもの)は使えないが、かといってその再現性が低ければ(下限が追い付いていないならば)口だけになってしまう。

いわゆる意識高い系は上限だけ高めようとして下限の方をおろそかにしている人たちのイメージ。

下限の取りくみはわりとメカニカルな部分が多く、地味。惹かれないのはしょうがない。

でも個人的には、下限確保がしっかりできている人は上限も上げやすいという認識がある。タグチメソッドじゃないけど。

 

 

 

 

 

わからなかった人のための『重力の虹』解説2 あの人は今!

 

 

 

 各登場人物の顛末をまとめればわかりやすくなるんじゃね?説。

初登場の章ごとにまとめました。

とりあえず公開するけど順次更新するからよろしく。

 

①↓

kambako.hatenablog.com

 

 

第一部初登場組

 

*スロースロップ

 別の記事を参照。

kambako.hatenablog.com

 

 

*カッツェ

三重スパイ。

ストーリーに合わせて流浪の日々を送っている。 

ブリツェロと生活

→00000号打ち上げ直前に別れ、プレンティスに連れられイギリスへ

ヘルマン・ゲーリング・カジノにてスロースロップと逢瀬

→イギリスに戻りプディング准将のお相手

→戦後、スロースロップを探してドイツへ移動

→エンツィアンと合流

エンツィアンたちがどうなったのかは作中で描かれていないため、カッツェの行方も不明。00001号の生贄となったのかについては個人的には50:50ぐらいの信憑性だと思う。 

 

*ロジャー・メキシコ

PIECESの統計学者。ジェシカの浮気相手。

戦後はPIECESの同僚やジェシカと別れたようだ。

カウンターフォースに属した!と第四部では描かれているが、そもそも第四部のイギリス周りの信憑性自体が……

 

*ポインツマン

 スロースロップを巡る陰謀の仕掛け人。

 スロースロップ作戦は失敗に終わり、研究者としての人生は断たれたが、管理者として昇進したようだ。別組織にて働いている様子が描かれている。詳しくは~ページにて。

 

ジェシカ・スワンレイク

 戦時中はロジャーと不倫していたが、終戦後元のさやに戻る。

 ロジャーに語ったところによると、夫と一緒にドイツに移住するようだ。

 ロジャーは<かれら>に属しただのなんだの言っているが、これはあくまで「合理的に行動した」程度の意味だと思っている。

詳しくは↓

kambako.hatenablog.com

 

 

*"早駆け"タンティヴィ

 スロースロップの盟友。第二部のカジノから突然消失、のちに「ドイツ戦線にて死亡」との旨が新聞で報じられる。

 この報道の信憑性についてはスロースロップの語る通り。

 犯人……というか仕組んだのはテディ・ブロート。

 なお後でもスロースロップの前に現れるが、状況的に幻影あるいは思い出と考えた方が適切だろう。いちおう死んだと報じられたのは「ドイツ戦線」なので、ドイツで生きててもおかしくはないのだが……

 

*テディ・ブロート

タンティヴィを陥れた人。 

カジノの一件以降は行方不明。

タンティヴィの死亡記事に寄せた名前を見ると、昇進したようだ。

 

*オズビー・フィール

映画マニア。 

第四部にてプレンティス同様カウンターフォースの中心メンバーとして描かれているが、そもそも第四部の信憑性はかなり微妙。

カウンターフォースも具体的に団体が存在するわけではなく、「不合理に動くやつら」くらいの意味あいなので、実際何して生活しているのかはよくわからない。

 

*レニ・ペクラー

 

*"海賊"プレンティス

バナナ屋敷のイケメン。

基本ずっとロンドンにいた。

例外はカッツェ救出時(第一部)。第三部でも飛行機でドイツに来ている。

こいつが他人の妄想を引き受けてしまうために第四部、ひいては作品全体の信憑性がかなり怪しくなっている。

 

*ホワイト・ヴィジテーションのみなさん

 終戦に伴いPIECESは解体、それぞれ別の職場に移ったようだ。

 具体的な行先は~ページにある。

 

プディング准将

 おなかいたいよう……。

 大腸菌にあたって死亡。

 第四部カウンターフォースには霊の形で登場する。まあ合理的とは言えない死に方してるし……

 

第二部初登場組

 

*ワイヴァーン大将

 

*サー・ドジスン・トラック

 スロースロップの監視人。

 陰謀のことをゲロってしまったためロンドンに帰国。

 別に殺されるとかはなく、別組織に異動になったようだ。~ページ参照。

 カウンターフォースにも出てきているが、何度も言うようにカウンターフォースは具体的な組織ではない。

 

*ワックスウィング

 

*ブリツェロ

またの名をヴァイスマン。

意外なことに消息がつかめていない人。

戦時中はロケット開発の責任者として行動。

00000号の打ち上げ後、ブリツェロの行方は意図的にぼかされている。

翻訳の佐藤氏の註によると、アメリカに移りアポロ計画に関与した様子?

 

*ゴッドフリート

ご存じ花嫁ボーイ。最終セクションのアレ、エロいですよね。

00000号の生贄となった。

 

 

第三部初登場組

 

*グレタ・エルトマン

ドMクイーン。

スロースロップと映画スタジオで出会い、一緒に行動する。

アヌビス号についた後はずっとアヌビス号にいたはずである。

もっとも、アヌビス号自体の行方が怪しいのだが…… 

 

*ミクロス・タナツ

 ブリツェロと行動→打ち上げ直前にアヌビス号へ→アヌビス号から落ちる→難民にまぎれて流浪の日々→エンツィアンに拉致される。

 エンツィアンが拉致したのは00000号の真相を知るため。

 ヘレロ族の面々同様、その後の行方は描かれていない。

 

ビアンカ

 基本的にアヌビス号にずっと乗船。

 スロースロップ下船~2回目の乗船までの間に死亡。

 スロースロップ下船直前のエピソードを見るに、犯人はおそらくグレタ・エルトマンだろう。

 ビアンカの死体はグレタのエピソードに描かれた「ユダヤ人と左翼の虐殺」と同じ殺され方をしている。

 

*ゲリー・トリッピング

 魔女っ子ゲリー。

チチェーリンと別れて町に住んでいたところをスロースロップと出会う。

ブロッケン山でスロースロップと再会、気球に乗る彼を見送る。

第四部にてエンツィアンと再会するため旅を開始、最終的にチチェーリンと出会い、魔法で虜にした。

そのあとは描かれていないが、チチェーリンと一緒に行動していると考えるのが妥当か。

 

*エンツィアン

ヘレロ族のリーダー。

幼少期にヘレロ虐殺中のブリツェロと出会い、心酔する。

その後ブリツェロとともにヨーロッパへ移動、ロケット開発に関与する。 

00000号打ち上げ前にブリツェロと別れ、黒の軍団を結成。土豚穴を拠点に活動していた。

最終的には00001号の打ち上げに向け移動。移動中に物語は終わってしまうため、その後の行方は不明。

移動中に怨敵チチェーリンと会っている。ただし、魔法でお互い気付かなかったうえ、エンツィアン側はチチェーリンのことを邪魔者くらいにしか思っていないような気もする。

 

*チチェーリン

 エンツィアンを追うソ連の軍人。エンツィアンの異母兄。

開戦前に中央アジアに勤務、キルギスの光に邂逅する。

開戦前後にドイツへ移動、ソ連スパイとして仕事をしながら私怨でエンツィアンを追う。

だんだん私怨の割合が大きくなっていたらしく、第三部~第四部でソ連に呼び戻されるも、これを拒否。

単身エンツィアンを追っていたが、ゲリーと合流し魔法をかけられる。

その直後にエンツィアンと出会ったが、魔法のせいで気付かなかったようだ。

その後の行方は不明。

 

*ライル・ブロンド

スロースロップのおじさんにしてスロースロップを実験に差し出した人物。

作中時点(1945年)で故人。

幽体離脱して死んだらしい。

 

*フランツ・ペクラー

ロケット技師。 

スラム街で働いており、そのころに妻のレニ・ペクラーと結婚。子供をもうけた。

その後クルト・モンダウゲンと出会い、ロケット開発の道に入る。この直後に妻及び娘と離別。

ロケット開発者として各秘密基地を転々としていた(ペクラーとイルゼのエピソード)。

ノルトハウゼンの地下トンネルにて働いていたころ、00000号の設計の一部に関与。

終戦後は遊園地にやってきており、スロースロップと出会う。

 

*デュエイン・マーヴィ

 デブでレイシストアメリカ軍人。

 スロースロップと間違われてイギリスに送還。

 イギリスにて誤解は解けたようだ(~ページ)。

 

*イルゼ

ペクラーの娘(?)。 

ペクラーのエピソードにのみ登場、1年ごとにペクラーと遊園地を訪れる。

ペクラーのエピソードのラストにおいて「また会いに来る」的なことを言っているが、その後どうなったのかは不明。読みこぼしたかも?

 

*"飛び駒"フォン・ゲール

 スロースロップと別れてからは消息不明。

 まぁ生きてるでしょう、たぶん。

 

*ゾイレ・ブマー

いかにも怪盗紳士なオッサン。趣味は音楽談義、あと大麻。 

ハッシシの一件以降本筋にはあまり登場しないが、どうもゾイレ所有のマンションにずっといるっぽい。

後にスロースロップもそのマンションに戻ってくる。

 

*"土豚穴"のみなさん

 基本的にはエンツィアンに同じ。

 ロケット00001号の打ち上げに向けて動いているところでストーリーが終わっているため、そのあとは不明。

 

*ビッグ・ボーディーン

<ゾーン>にて闇商人をやっていた憎めないやつ。

 ロケットマンになった直後のスロースロップと出会い、大麻回収を依頼する。

その後ながらく登場しなかったが、娼館のシーンで再度登場。

ビジネスマンらしく賭けの胴元をやっていた。

その後、ゾイレ・ブマーのマンションに身を寄せ共同生活をしている。

なお、分裂直前のスロースロップを最後に見たのは彼である。

トマス・ピンチョンの過去作『V.』にも登場。時系列的にはこちらの方が後である(『重力の虹』は1945年ごろ、『V.』は1955年ごろの物語)。『V.』には妻も登場する。

 

第四部初登場組

 

 

 

 

 

『闘争領域の拡大』 それでも踏破しなくてはならないお前たちに捧ぐ

 

闘争領域の拡大 (河出文庫)

闘争領域の拡大 (河出文庫)

 

 

ウェルベック村上春樹に似ているとよく言われるが、個人的には太宰治に似ていると思う。

ウェルベックも太宰も、ともにキャッチ―なフレーズを作るのが非常にうまい。

太宰のコピーライターとしての実力は『女生徒』を読めばわかるし、ウェルベックのうまさはウェルベックBOTを見るといい。

それと性だ。セックスシーンばかり取り上げられるくせに、春樹にとって女は大きな意味を持っていない。太宰にとって女はまさに一大事だ。ウェルベックにとっても一大事だ……より正確に言えば、ウェルベックにとって一大事なのは、女ではなくセックスだが。

 

女生徒 (角川文庫)

女生徒 (角川文庫)

  • 作者:太宰 治
  • 発売日: 2009/05/22
  • メディア: 文庫
 

 

『闘争領域の拡大』はウェルベック初の小説だ。その前は評伝や詩を書いていたウェルベックが、始めた余に問うた小説。意図をはっきり伝えるタイプの媒体から動いてきただけに、『闘争領域の拡大』はかなり直接的に書かれている。タイトルの意味するところも、筆者が伝えたい部分も、文中に非常に直接的に示されている。

それを面白くないととるかどうかは好みの問題だろう。

冒頭に述べた通り、自分にとってのウェルベックはストーリーの作家ではない。いや社会派作家としてのウェルベックを否定するわけではないが、いかんせん日本人なのでいまいちニュアンスを飲み込めないのだ。

自分にとってのウェルベックアフォリズムの、短文の作家だ。ゆえに本作を評価する理由も、その短文にある。

経済の自由化とは、すなわち闘争領域が拡大することである。それはあらゆる世代、あらゆる社会階層へと拡大していく。同様に、セックスの自由化とは、すなわちその闘争領域が拡大することである。それはあらゆる世代、あらゆる社会階層へと拡大していく。

 

ウェルベックの主人公は常に生きづらさを抱えている。

彼らは職場で人間関係をうまく築けず、常に不健康で、そのくせ金に困ることは全くない(最後のところは村上春樹に似ている)。

そんな彼らが一人称でつづるのは、やはり常に生きづらさの叫びだ。

身勝手で、レイシストで、どうしようもなくありふれた彼らの生きづらさは、彼らのあまりにも個人的な思いから発しているからこそ、生きづらい人間の心を狙い撃ちにする。

君はいつまでも青春時代の恋愛を知らない、いってみれば孤児だ。君の傷は今でさえ痛い。痛みはどんどんひどくなる。容赦のない、耐え難い苦しみがついには君の心を一杯にする。君には救済も、解放もない。そういうことさ。

 

 

普通の小説なら主人公は自殺するのだろう。生きたくない、消えてしまいたいと心から叫ぶものは、劇的な世界では自殺するのがベタな展開だ。

しかし、ウェルベックの主人公は死なない。別に生きたいからではなく、ただ死なない。それはちょうど、生きづらさを抱えながらなお死なず、この本を開いた私たちと同じだ。

なぜ死なないのか、と問われるとウェルベックの主人公たちは、そして私たちはこう答えるだろう。

「生きたくはないが死にたいわけではない」のだと。

 

ウェルベックは短文の作家だ。

そしてウェルベックは、「それでも生きねばならない」人間だ。

本作の最終ページは、我々が人生に倦んでいるほどよく響くだろう。

それでも踏破しなくてはならない、あなたに捧ぐ。

ときどき路肩に自転車を停め、煙草を吸い、ほんの少し泣き、再び出発する。死にたいなあと思う。でも「踏破すべき道があり、踏破しなくてはならない」のだ。

 

 

Flip the Next Coin...

『女生徒』:名文製造機Mr.太宰の本領発揮。

女生徒 (角川文庫)

女生徒 (角川文庫)

  • 作者:太宰 治
  • 発売日: 2009/05/22
  • メディア: 文庫
 

 

土星の環』:生きづらさ製造機Mr.ゼーバルトの本領発揮。

土星の環:イギリス行脚[新装版]

土星の環:イギリス行脚[新装版]

 

 

スプートニクの恋人』:特になにも製造しない男製造機Mr.春樹の本領発揮。

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

 

 

 

 

『Ergo Proxy』 加えよ混ぜよ掘れよ

 

Ergo Proxy Blu-ray BOX (スペシャルプライス版)
 

 

Ergo Proxy』を見た。個人的には中の下くらいの印象。

「外国人に人気のアニメ」とか「大人のアニメ」とかで名前が挙がっていたのを覚えている。

哲学的な、とか独創的な、とか難解な、とかいう枕詞が付いていた気もする。

個人的にはこれらのレビューにいまいち賛同できない。

Ergo Proxy』は怪作というよりは、むしろよくあるパーツをうまくつなぎ合わせた快作の方に近いイメージだ。

 

Ergo Proxy』に似た作品は非常に多い。

荒廃した大地・男と女と子供・ディストピアとしての管理社会。

クイズ回とかディズニー回とかそういうあからさまなものは置いておくにしても、オマージュの非常に多い作品と言える。

その主なパーツはたぶん以下の3つだろう。

すなわち、『風の谷のナウシカ』(漫画版)・『COWBOY BEBOP』・『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』だ。

 

風の谷のナウシカ』の影響はその背景設定にある。

荒廃した大地・旧人類と新人類の関係など、『Ergo Proxy』における「世界の秘密」はナウシカのそれとかなり似通っている。

TRIGUN』あたりともかなり似ている(ヴィンセントとヴァッシュの造形とかそっくり)が、そもそも90年代においてポストアポカリプス系が流行っていたというのは無視できない(というか『TRIGUN』にせよ『血界戦線』にせよ、内藤作品はその世代の流行をかなりの部分体現している)。

Ergo Proxy』は世に無数に存在するナウシカフォロワーの一人と言えるだろう。

 

 

パンで見た時の設定が 『風の谷のナウシカ』なら、ズームで見た時の設定は『COWBOY BEBOP』だ。

固定メンバーが疑似家族を形成しながら街を巡り、そこで騒動に巻き込まれる。

いわゆるビバップスタイルのストーリー展開が『Ergo Proxy』後半の主軸となる。

子供でロボット、かつ悩み多きヴィンセントだけでは停滞しがちなストーリーの推進役であるピノの存在はビバップエドに似ていなくもない。

ついでにいうと『THE ビッグオー』のドロシーにも似ている。というかビッグオーと『Ergo Proxy』が似ている。これもまた影響の一つなのかもしれない(念のため書いておくが、『THE ビッグオー』の方が先)。

最終話が過去を清算するストーリーであることも『COWBOY BEBOP』に似ている。

 

COWBOY BEBOP Blu-ray BOX (初回限定版)

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  • 発売日: 2012/12/21
  • メディア: Blu-ray
 

  

THEビッグオー Blu-ray BOX

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  • 発売日: 2011/12/22
  • メディア: Blu-ray
 

 

最後に、描写の仕方は『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』を真似ている……が、こちらはあまり追随できていない印象。

膨大なハイテキストによって世界のすべてを描き切ってしまう押井守のスタンスは踏襲しているが、『Ergo Proxy』はハイテキストをうまく扱いきれていないという印象。

例えば「おじいさま」の四体の石像は哲学者の名前なのだが、彼らの言動がその哲学者自体のなにがしと関係しているかといわれると、そうでもない。あくまで名前をとってきただけという印象だ。

レーゾンデートルにしても、もともとの「存在意義」という訳をそのまま当てはめすぎているというか、「生きる意味」程度に翻訳してしまっている点はいただけない。

GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 [Blu-ray]

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  • 発売日: 2017/04/07
  • メディア: Blu-ray
 

 

長々と書いてきたが、『Ergo Proxy』があまり好きになれなかった理由は最後にある。

様々な作品の要素を組み合わせ、オマージュして作られた『Ergo Proxy』。

当然それは悪いことではない。むしろ称賛されるべきことだろう。

しかし『Ergo Proxy』はその先を描くことができていない。

日本アニメの流れに疎い外国人にどう映るかはわからないが、日本人が見ると『Ergo Proxy』は守破離で言うところの守。

こちらとしてはその先、先人から受け継いだものをどのように発展させるかに興味があるわけで、当然守だけではあまり面白くないという印象だった。

 

 

 

 

 

わからなかった人のための『重力の虹』解説

※筆者はピンチョンの専門家ではありません

※筆者は佐藤訳の日本語版しか読んでいません

※筆者はまだ1回しか読んでないので所々うろ覚えです

※完全に持論です

※100%ネタバレです

 

  

 

重力の虹が難解だとか支離滅裂だとか言う声が多いので書いた。

個人的にも完全に飲み込めているわけではない(飲み込めるもんでもない)ので、異論質問バンバンコメントください。

 

本作のテーマをまとめると?

「理性中心の世界では常にそれを超えようとするものが現れる。彼らは無残にもバラバラに打ち捨てられてしまうが、しかし消滅することはなく、やがて現れる次の挑戦者たちの糧となる」

まあこれだけでは説明になってないだろうからこの記事最後まで読んでくださいお願いします。

 

結局あらすじは何なの?

世界中のすべてがロケットの一生と同じ道筋をたどる物語。

具体的には、以下8つの工程に分かれる。

①原料や燃料の採掘・精製
②組み立てながら輸送・調整
③発射
④上昇
⑤燃焼終結(ブレンシュルッス)
⑥自由落下
⑦着弾
⑧回収をはじめとする着弾を受けた反響 → ①に戻る

本作には無数のエピソードが登場するが、第四部に入るまでのすべてのエピソードがこの一連の工程と同じ流れをたどる。

加えて、本作の流れ自体がこの①-⑧の流れをたどっている。

世界のすべてが①~⑧の放物線、重力によるロケットの虹に集約される物語なのだ。

 

具体的に物語のどの部分がどの工程にあたるの?/スロースロップは最終的にどうなったの?

スロースロップの物語を上の工程に当てはめるとこの2つの問いの答えになると思う。

①原料や燃料の採掘・精製:第一部~カッツェとの別れ+ラスロ・ヤンフやライル・ブランド周り
②組み立てながら輸送・調整:カッツェとの別れ~グレタとの出会い
③発射:グレタとの出会い
④上昇:グレタとの出会い~ビアンカ喪失
⑤燃焼終結(ブレンシュルッス):ビアンカ喪失(ビアンカとのセックスシーン)
⑥自由落下:ビアンカ喪失~第三部ラスト
⑦着弾:スロースロップがクロスロードになるシーン(第四部第1エピソード)
⑧回収をはじめとする着弾を受けた反響:第四部第1エピソード~ラスト

 

順に見えていこう。

①原料や燃料の採掘・精製

 第一部~カッツェとの別れ+スロースロップの生い立ち。

 第一部・第二部のほとんどがこの部分にあてられていることとなる。

 生い立ち部分がスロースロップの原料、というのはまあ納得いただけると思う。

 ホワイト・ヴィジテーションなどスロースロップを取りまく外部環境は、最終的にはスロースロップの発射の一因となったという側面から、スロースロップというロケットの部品と言えるのではないかと考えている。

 後のグレタにカッツェと似た面影を感じていることから、カッツェとの逢瀬はいわば誘導装置にあたるのだろうか?

②組み立てながら輸送・調整

 ロケット組み立て地下壕のエピソードや第四部のエンツィアンのエピソードでわかる通り、ロケットの組み立ては輸送しながら行われる。

 スロースロップの物語の中でこの部分に該当するのはカッツェとの別れ~グレタとの出会い。

 スロースロップのロケット勉強はカッツェとの別れの前後で始まっている。

 この後のスロースロップの動きを考えれば、ロケットの知識を勉強したこのシーンが組み立てシーンの一部にあたるといえそうだ。

 実質的な組み立てはスロースロップがロケットマンになったタイミング(ゾイレ・ブマーとの出会い)で終了したのであろう。その後~グレタの出会いまでは言うなれば発射方向の調整、あるいは発射タイミングまでの待機時間である。

 ①②の工程を(少なくとも途中まで)仕切っている黒幕はポインツマンである。

 この部分が輸送シーンにあたることはポインツマンという名前からも想像できる。

③発射

 グレタとの出会いのシーン。

 スロースロップの自我の分散が始まるのはグレタとの共同生活が始まってからである。

 この自我の分散、言い換えれば魂の分散は、ロケットで言えば炎の噴射にあたると思っている。噴射=自分の内側の燃料を吐き出し、分散させているということなので。

 グレタとの出会いが発射地点だと考えているのは、スロースロップが目指した燃焼終結点(ロケットの放物線で言うと最も高い頂点のところ)がビアンカだと考えているからでもある。

 ビアンカとグレタは親子であるがゆえに、同一ではないが似たパーソナリティを持っている。

④上昇

 グレタとの出会い~ビアンカの死。

 ビアンカとのセックスシーンが③発射または④上昇にあたることはほぼ間違いない。

 だって射出とか言ってるもんね。

 ビアンカとのセックスを③発射にしていないのは上記自我の分散のタイミングが理由。

 ビアンカとのセックスのタイミングがスロースロップというロケットの最高速度だったということは言えそうだ。それが発射タイミングなのか、上昇の途中なのかはロケットの速度変化に詳しくないのでよくわからないが。

⑤燃焼終結(ブレンシュルッス)

 ビアンカとのセックス。というより、ビアンカ喪失である。

 

 スロースロップにとってビアンカは放物線の頂点、ゴッドフリート発射時のブリツェロの言葉を借りれば「光の突端」にあたる。このあたりはビアンカとのセックスシーンの描写からそう思った、という感じ。

 燃焼終結点にてスロースロップとビアンカは一瞬重なるのだが、しかしスロースロップはビアンカを失う(セックスシーン終盤の描写より)。

 そのあとは自由落下に入ってしまうため、スロースロップはビアンカを失い続けることになる。

⑥自由落下

 ビアンカ喪失~第三部のラスト。

 ビアンカの死がここに挟まっていることは注目に値する……のだが、ここに対して明確な解釈が思いついていない。もしかしたらビアンカの死が⑤燃焼終結なのかも。

 なお、ペーネミュンデのエピソードでもスロースロップは自我崩壊を感じているのだが、ロケットも自由落下中に部品が取れたりするよな、と思っているのであまり矛盾は感じていない。最後のスロースロップに近づいている、という感じ?

⑦着弾

 着弾したのは第四部第1エピソード。

 クロスロードという書き方をしているのでわかりにくいが、取っているポーズは十字架、つまり×マーク。これはペクラーのエピソードで出てきたミサイルの着弾地点の模様と同じ。

 着弾するとミサイルは粉々に飛び散る。それと同様、スロースロップもまたバラバラになって飛び散ったということになる(この記載があるのは第四部の半ばだが)。

 具体的な状況はビッグ・ポーディーンのドイツでのエピソードを参照。過去と未来を認識できず、現在(ロケットで言うところのΔt)だけを認識できる状態になっている。

⑧回収をはじめとする着弾を受けた反響 → ①に戻る

 第四部全体。

 詳しくは後で説明するが、カウンターフォース自体がスロースロップがバラバラになったことを受けた影響で物語に登場してくる。

 なお、着弾したロケットを回収って何よ?という方は第一部のスロースロップの仕事およびペーネミュンデのロケット試験を参照されたし。第四部のエンツィアンのエピソード(ロケットの放物線は、実は大きな円の可視的な一部分という描写のところ)でも可。

 

ただし、スロースロップというロケットは必ずしもキレイな放物線を飛んでいるわけではない。

そもそもスロースロップの発射をたくらんだものから見ると、スロースロップは失敗したロケットである(第三部ラストエピソード)。

制御系のうまく機能しないロケットの向きがブレ続けるように、スロースロップの物語も寄り道をはさむ。

また、物語自体がスロースロップから寄り道することもある(ペクラーのエピソードなど)。

 

<かれら>って何?/カウンターフォースって何?

 <かれら> = 制御システム、およびそれを構築する技術、およびそれらの前提としてある「制御」という概念そのもの。

 

 本文中で<かれら>を名指しで呼んだのはカッツェ、グレタ、グレタの影響を受けたスロースロップ、第四部のロジャーの四名である。

 上記のように、作中で<かれら>を指す際には段階の違う3つの意味が包含されている。

 分けて説明しよう。

 

 ・制御システム

  この場合の「システム」はいわゆる合目的的なシステムやピラミッド式のシステムではない。

  この場合のシステムは多数の粒子が有機的につながりあうことによって構成されタイプのものであり、言葉的にはむしろ制御「系」といった方が近い。

  ロケットにおける制御系は、外乱要素とそれに反応する電気回路からなる。

  外乱要素とはロケットの理想的なカーブを妨げる要素である。具体的には空気抵抗、それになにより、重力である。

  電気回路の方は本文中に、「ロケットの方向を検知して間違った方向に向かうと電気が流れて修正する」というような内容が書いてあった(と記憶している)。

  現実世界のほうで言えば、IGファルベンやシェル石油フリーメーソンなどいわゆるテンプレ陰謀論的な秘密組織がこれに当たる。第四部冒頭のロジャーが指摘していた<かれら>といえよう。

  ただし、カウンターフォースはこの秘密組織に対抗して作られた団体ではない。

  <かれら>という名前のせいで具体的な人間が属している団体みたいに思われるが、実のところこれらに属している人間が利益を貪っているかといわれるとそうではない(ポインツマンのエピソード全体を参照)。

  作中での扱いで言えば、これら秘密組織を考えるのは新米パラノイアの悪い癖であって、正直この秘密組織は大した敵ではない。

  新米パラノイアのロジャーはやれジェシカが<かれら>の使いだ秘密組織に属しているんだなどと言っているが、その発言はプレンティスに軽くあしらわれている。

 むしろその背後にある技術、そして技術の背後にある概念こそがカウンターフォースが抗する相手と言えるわけだ。

 

 ・制御システムを構築する技術

  カッツェや(確か)エンツィアンが指摘した<かれら>。

  「WWⅡは国同士の争いというよりは技術の要請で起こった」的な内容が(場所忘れたけど確か終盤に)あったはず。

  作中ではプラスチック技術やロケット技術などが該当する。

  技術かどうかは微妙だが最もイメージに近しいのはポアソン分布かもしれない。

  発生するすべての出来事を正規分布に押し込め、制御する手法。

  滑らかなカーブを描こうとするこれらの技術に対し、カウンターフォース側で登場するのはカスプを求めるテクニック。

  タナツの出会った雷浴びたいマンとか、あとドラッグによるトリップがまさしくそれにあたるだろう。

 

 ・技術の背後にある制御という思想そのもの

  技術の前提としてある「制御」という思想そのもの。

  これが<かれら>の本体であり、カウンターフォースが抗する相手である。

  この場合の「制御」は「管理」とも言い換えてもよいし、「合理性」「弁証法」と言い換えてもよい。科学の発展を支えてきたいわゆる近代西洋哲学そのものである。

  すでに制御システムの段で述べたように、このシステムはいわゆるトップダウン式のものではない。むしろ複数の粒子(あるいは人間)が有機的に繋がることで生じるシステムである。そういう意味では「常識」や「規範」、あるいは「重力」と言ってもよいだろう。

  ジェシカが<かれら>に与してしまったなどとロジャーは言っているが、何のことはない。ジェシカは合理的に、常識的に判断している、というだけなのである。 

 

  ロケットの制御系が望ましいベクトル以外を「打ち捨てる」技術であるように、「制御」という概念からは「打ち捨てられたもの(プレテリット)」が必ず生じる。

  スロースロップ、そしてカウンターフォースはこの「打ち捨てられたもの」のそばに寄り添うものたちである。

  (確か)ポインツマンがこぼしていたように、どれだけ制御しようとしてもその制御系をオーバーするものが必ず登場する。ポアソン分布で言う3シグマの彼方、奇跡的な確率で誕生した電球バイロン

  制御系はその恒常性を維持するために、必然的に彼らを打ち捨てる。

  打ち捨てられた者たちはバラバラにまき散らされるが、しかし彼らは完全に消失することはない。

  ロケットはまた組み上げられ、陽はまた昇り、そしてまた撃ち落される。

  最後のその瞬間まで、ずっと……。

 

  ここでオープニングシーンに登場するエピグラフと、ラストシーンに登場するウィリアム・スロースロップの讃美歌をもう一度見てみよう。

"自然は消滅を知らず、ただ変換を続けるのみ。過去・現在を通じて科学が私に教えてくれるすべてのことは、霊的な生が死後も継続するという考えを強めてくれるばかりである"

――ヴェルナー・フォン・ブラウン

 

汝の時の砂尽きるとも

砂時計を回す御手あり

数多の塔を潰せし光が

最後の一人を棄て落とすまで……

荒れ果つる地の道にて

破壊の騎手が眠むまで

その御顔、凡ての山の肌にあり

その御魂、凡ての石の中にあり

 

  最初に記載した「本作のテーマをまとめると?」の意味がわかっていただけただろうか?

 

ここまで書いてきてなんだけどわかりやすくなっちゃったら艶消しな感じもしなくもない。

また質問とか思いついたことあったら追記します。

 

ナウ、エヴリバディ――