リチャード・ポワイエによる『重力の虹』最初期のレビューを翻訳してみる ③

②↓

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ロケット00000号の複製を誰が最初に作れるかを競うメインプロットの他に、少なくとも4つの主要なプロットがあり、それぞれ一つずつでも現代のすべての小説家全体の価値が引き上げられるほどの名作である。

一つは、前述のSSコードネーム「キャプテン・ブリツェロ」として知られる、ヴァイスマン大尉(のちに少佐)の物語であり、ヘレロ族のエンツィアンへの南西アフリカとドイツ両国にまたがる彼の愛、そしてのちにスロースロップとも関係を持つ二重スパイカッツェとゴッドフリートとの関係の物語である。

一つは、ヴァイスマン-ブリツェロの下で、ある点では心酔のために、ある点では強制収容所から妻と娘のイルゼを取り戻すためにロケット開発に携わったフランツ・ペクラーの物語である。

一つは、ソビエトの諜報員チチェーリンの物語であり、戦争直前の中央アジアへの追放、ピンチョンがシンプルに「ゾーン」と呼んだ場所での異母兄エンツィアンの戦後の探索、彼を陥れようとする同志リポフについてのケスラー的なダイアログ、そして彼を慕う少女ゲリーによるチチェーリン探しとその成功の物語である。

最後の一つはチチェーリンの異母兄エンツィアンの物語であり、Schwarzkommando(南西アフリカからドイツへ追放されたヘレロ三世)のリーダーおよび管理者としてロケット00001号の組み立て・打ち上げに必要なすべてのパーツを集める物語である。

これらはすべて、ヒトラー以前のベルリン、電撃戦中のロンドン、戦後のゾーン、1930年代の中央アジア、世紀初頭のドイツ南西アフリカを巡る一種の旅行記である――ピンチョンはこれらについて細部まで調査するだけでは飽き足らず、そのトーンを、自身が経験していない時空間の本質を創造してみせた。

 

また、すべての主要なプロットの流れに不可欠な動機や行動を持つ登場人物が活躍する不思議なサブプロットも多数存在する。

おそらくこれらの中で最も重要なのは、ラスロ・ヤンフというとらえどころのない医師であろう。駆け出しの行動学者だったころ、彼はDarmstadt大学からハーバード大学1年間留学した。留学中、ヤンフは幼児タイロンに性的反射を条件付けした。まだ幼かったスロースロップの父親とI.G.ファルベン(後にスロースロップのハーバード大学での教育に助成金を出すことになる)との間で交わされた合意に基づいて。

残念なことに、ヤンフがその後行った脱条件付けのプロセスは失敗し、1944年のロンドンでは、スロースロップはV-2ロケットが落下する時間帯や場所で勃起するようになってしまう。

この現象は、スロースロップの上司、特に「ホワイト・ビジテーション」と呼ばれる実験グループに属するエドワード・ポインツマンに気づかれずにはいられなかった。

彼らにとってスロースロップの現象は奇妙に思えた。なぜなら、超音速で飛ぶV-2は、接近音がしてから衝突するのではなく、衝突してから接近音が聞こえるためである。上記の理由から、スロースロップの条件付けされた反応をもたらす刺激として予想されるもの(訳注:ロケットの接近音)は本来警戒すべきロケットの衝突の後で発生するため、ロケットの墜落地点の近くに何度もいることを考えれば、スロースロップは死んでいなければおかしい。よって、彼の条件付けされた反応はロケットの音に反応しているのではなく、ロケット衝突前に起こる謎の前兆、ロケット衝突前の光景や状況にある何らかの要因に反応していると思われる。

それを裏付けるかのように、ロンドンでの彼の女の子とのデートマップは当局がつくったV2ロケットの落下地点とピタリと一致することが後に判明する。(ピンチョンの明示なしでも、読者は「スロースロップの天の意思を読み取る能力は彼がピューリタンとして受けついだものの一つである」というジョークを読み取ることができる。つまり、彼はElect(訳注:「勃起する」の意と「選ばれる」の意がある)した民であり、救われた民であると)

いずれにせよ、ヤンフはスロースロップとロケットの両方にscore and bangs(訳注:調べても意味がわからなかった。何らかのイディオムのようだが、おそらく「お膳立てした」程度の意味と思われる)をプログラムしたと言うことができる。なぜなら、のちに行動主義学者から有機化学者に転向したヤンフの功績の一つは、謎のロケット00000号に不可欠なプラスチック、イミポレックスGの開発だったからである。

 

重力の虹』の中心人物はロケットそのものであり、他のすべての登場人物は、何らかの理由でロケットの探索、特にイミポレックスGに包まれていた「Schwarzgerät」と呼ばれる秘密の部品の探索に巻き込まれていく。

いくつもの探索によって、現代生活の文化的・経済的・科学的側面とその歴史的事実との間の関係が徐々に明らかになっていく。そのため、ピンチョンはこれを「聖杯を巡る恐るべき駆け引き」と呼ぶこともできるだろう。

ロケットが彼を刺激するため、そしてポインツマンが彼の睾丸を検査のために切除しようとするために、スロースロップは駆り立てられる。(外科手術のモルモットにされかけたスロースロップは別の男が豚のコスチュームを着ているすきに逃げ出してしまう)。

エンツィアンはヘレロ族への最後の啓示としてロケットを再び組み立てたいと思っている。ヘレロ族を大量虐殺した白人民族が今、ヘレロ族を滅ぼす道具を考案してくれた。これは比喩的にも不可逆であり、そして彼らのロケット打ち上げが後に示すように、文字通り不可逆である。

チチェーリンのロケットの探索はエンツィアンを見つけて破壊し、黒人の異母兄弟がいることの屈辱を取り除くための口実である。

ピンチョンが<かれら>と呼ぶ英米側の真の権力者たちは、ソビエトがチチェーリンを放置するのと全く同じ理由でポインツマンとスロースロップを野放しにしている-その理由とはつまり、ロケット組み立て技術を入手するため、そしてより重要な理由として、Schwarzkommando(訳注:エンツィアンたちのこと、ヘレロ族は黒人)をついに滅ぼすことができるかもしれないという可能性のため。空白を司るドイツの死神の伝承、Blickerにちなんだブリツェロという名前が示唆するように、<かれら>は世界を漂白することを望んでいる。

 

ロケット探索者の中のごく少数だけが疑い、<かれら>の誰もが気付いていない一つの教訓が、ロケット探索によって明らかになった。その教訓とは、ロケットが全人類を内包していること、そしてゴットフリートは全人類の究極的な運命を物理的に表現したものに過ぎないということだ。ゴットフリートがSchwarzgerätであり、ロケット00000号はイミポレックスGで作られた香り高い死装束に包まれた彼の体を収めるためのスペースを確保するように組み立てられていたのだ。性の、愛の、生の、そして死の秘密のすべてが、ロケットの組み立てとロケットが最後にたどり着く悲劇の中に集約されている。

 

④↓ 

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リチャード・ポワイエによる『重力の虹』最初期のレビューを翻訳してみる ②

原文:https://gravitys-rainbow.pynchonwiki.com/wiki/index.php?title=Rocket_Power

筆者は別に英語得意じゃないので間違いとかは指摘してください。

①↓ 

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すべての単語がすべての単語とつながりあい、メインキャラクターがみんなパラノイアなせいですべてのデティールが前兆や手掛かりになり他の細部と不意につながってしまうような可能性が含まれている、そんな40万語の本を要約するなんてことは不可能である。

重力の虹』の中で解かれる謎はいくつかあるものの、それは一つのパターンを別のパターンへと組み換えたり修正したりするだけで、さらなる謎を生み出すばかりだ。

重力の虹』は先の読める展開が全くないまま積み重なっていくプロセスであるため、どんな要約であってもこの本のせいでパラノイアになった読者の産物以外の何物でもない。

さらにややこしいことに、登場人物たちはフィクションによくあるような、ある程度どんな人物でどんな役職かわかるような形で紹介されてはいない。

どのチャプターでも(数字ではなく、映画のスプロケット穴を想起させる複数の小さな四角形で区切られているどのチャプターでも)、私たちはたくさんの登場人物と物体のあるシーンの中にいきなり叩き込まれる。まるで私たちの目の前の映画のスクリーンに突然現れたみたいに。

 

重力の虹』には400人の登場人物がおり、そのそれぞれにピンチョンらしい名前が付けられている(話はズレるが、懐かしのブラッディ・チクリッツが『競売ナンバー49の叫び』から再登場している)。困ったときには参考文献を見つけられそうな登場人物もたくさんいる(例えば、ケクレやリービッヒ、マクスウェルなどの有機化学のパイオニアたち)。

ケノーシャ・キッドの部分をはじめとした隠れた引用のある文章もある。ケノーシャ・キッドはたぶんオーソン・ウェルズのことだと思うね、ウィスコンシン州ケノーシャ生まれだから。『市民ケーン』と、その中に登場する辞世の句「バラのつぼみ」が彼の蓄えられた富と力の手がかりととらえられていたが実際には彼が子供のころ愛していたそりの名前であり、ラストシーンではそれが燃やされてしまうことを考えてみると、オーソン・ウェルズはケノーシャ・キッドの参考文献としては適切だろう。

この本にあるすべてのデティール、すべての描写がこんな調子で捉えられてしまう。しかしそのどれもが決定的な手掛かりではないから、気づかず見過ごしてしまうことを過度に恐れる心配はない。

 

例えば、この本に登場する第二次世界大戦時のアルファベット式の略号の機関や国際カルテルをすべてメモしておこうとする読者なんていないだろうし、そんなところを期待してこの本を読む読者もいないだろう。

重要なのは混乱そのものである。CIAはあなたが普段思っているようなものではなく、むしろアブノーマルを作り出すための化学装置なのだ。

この本は変装、つまりアイデンティティの変化と融合に満ち溢れている。

メインプロットの主人公はニューイングランド植民地のピューリタンの血統を祖先に持つタイロン・スロースロップ中尉だが、ある時の彼はイギリスの記者イアン・カップリングであり、ベルリンでマントとヘルメットを着けた時の彼はロケットマンである(この名前はワーグナーのオペラの登場人物"Fickt nicht mit den Racketmensch"、「貧しい男は2人の強盗から逃れるためにハーモニカを使って叫ぶ」からとられている)。ドイツの小さな町ではまた新たなコスチュームと名前を手に入れる。面倒を見てやっている子供から頼まれて、10世紀に突如として現れ人々を解放したPlechazunga(豚の英雄)となるのだ。その後はずっと豚の衣装のままである。

 

 ③↓

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リチャード・ポワイエによる『重力の虹』の最初期のレビューを翻訳してみる ①

原文:https://gravitys-rainbow.pynchonwiki.com/wiki/index.php?title=Rocket_Power

筆者は別に英語得意じゃないので間違いとかは指摘してください。

 

ロケット・パワー

1973/5/3The Saturday Review、リチャード・ポワイエ

 

1963年にトマス・ピンチョンが有名となるきっかけとなり、その後彼に会ったり写真を撮ったりインタビューしたりしようとした人一切を困惑の渦に叩き込んだ『V.』は、非常に多様かつ多重構造を持った作品であり、文学史上最も優れた処女作であり、一線級のバランスと文体的なリソースを持つ十年に一度の傑作である。

その3年後には『競売ナンバー49の叫び』が出版されたが、こちらは『V.』よりかなり短くなったという理由だけ考えればよりとっつきやすくなったと言えるが、『V.』から特に複雑な部分を抜き取ってきたという印象である。

そして今、『重力の虹』が出版された。

V.』よりも野心的、(その中心的な謎が暗号から超音速ロケットへと変わったという点で)より時事的、かつより複雑となった『重力の虹』を、ピンチョンのファンが今までイメージしてきたピンチョン作品の体系(つまり、「終末」と「エントロピー」の体系)の中にあてはめることは難しい。

 

ピンチョンは36歳にして、歴史的に重要な小説家としての地位を確立した。

ノーマン・メイラーを含む他の生きている作家全員と比べても、ピンチョンは最も歴史的に重要であると言わざるを得ない。それは、目に見える形で現れる技術の中にある目に見えない我々の時代の動きをとらえることに成功している点からである。もっとも、彼は「歴史的」と言われることを好まないとは思うが。

重力の虹』において、彼のこれまでの作品以上に、歴史はノイローゼの一形態、時の流れに対する人間の進歩的な試みの記録として描かれている(これはノーマン・O・ブラウンが『エロスとタナトス』で示したのと同様だ)。

そんな歴史を記録するだけでも非常に骨が折れる作業だ。歴史を紡ぐ人間はファウスト的な人物だと言わざるをえない。

本書にもロケット工学の天才ブリツェロ大尉やパヴロフ行動学者エドワード・ポインツマンなどのファウスト的な人物が登場するが、しかし一方で、彼らは明らかに自分たちが支配していると思っているシステムの奴隷になってしまっている。

 

ピンチョンにとって、ファウスト的な考え方についての20世紀特有のコミカルな恐怖は、それがもはや個人の狂った英雄的行為の中には存在し得ないということである。

それらは官僚的企業の一部であり、歴史を(この本でロケットが最後に辿る道筋のように)「不可逆的」な道筋へと固定してしまう技術体系の一部なのだ。

この点から、すべての歴史の非属人化は、我々にマゾヒスティックな共同作業を強いる技術体系を伴った、どこか不合理なものとして想像されている。

このマゾヒスティックな共同作業はある登場人物にも表れている:彼女は降伏の中でではなく、絶望の中で自分の尻に鞭をうつ。自分がまだ人間であり、泣くことができる存在であるかどうかを確かめるために。

重力の虹』における究極の鞭、システムが生み出す最終産物、それは超音速ロケット。第二次世界大戦におけるドイツのV2ロケットである。ピンチョンの恐るべき本の中で、それはモビー・ディックとピークォッド号の合体版、処女と絶倫の合いの子である。

 

もしこの本の中にピンチョンが現代の技術・政治・文化の複雑なネットワークを複製したとするならば、『重力の虹』の文体とその目まぐるしい移り変わりは、今日のメディアや運動の特徴である、どんどん速くなる一つのモードから次のモードへの移り変わりの目まぐるしいテンポを再現したものである。

本書で繰り返し描かれるメタファーと同様に、我々は今まさに人間の「領域」を、「重力」とそれによる自然の美を超えて運ばれつつあるのである。我々の上昇において、安全な「帰還」も再突入も使い果たされてしまった。ただ自滅的な形でしか、地球を我々のか弱く、時に支配された魂にとって素晴らしい「我が家」にしてくれた大気圏に帰るすべはないのである。

 

ピンチョンの中で私たちは、私たちの情熱・エネルギー・欲求を結び付けた物体によって、自分自身に「帰る」のであり、我々の祖先が記憶しているあの地球へと帰るのである。

我々は若きゴッドフリート、あの特別にナンバリングされたV2ロケット00000号の中に入れられることを承諾した兵士となり、(彼が見ることができたなら)忘れられない光景の中で音速を超えて打ち上げられ、そして確実な死に向かって落ちていくのだ。

 

 ②↓

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"Return of the Obra Dinn" 海に浮かぶ棺

*ネタバレありますがクリアにつながるヒントはほとんど記載していません。

 


Return of the Obra Dinn - Available Now

 

見渡す限りの黒い海。

やがて訪れる嵐の気配。

5年の時を超えて、乗組員の亡骸を載せて帰還した幽霊船。

白黒の点描で描かれたオブラ・ディン号の上で、プレイヤーは一人徘徊する。

抑えきれない心細さと、そこから生じる幽霊たちへの親近感。

そしてふと気づくのだ。彼らは死んでしまったのだと……

 

-あらすじ

時は1802年。200トン以上の交易品を積んだ商船「オブラ・ディン号」が、ロンドンから東方に向けて出港した。その6か月後、同船は予定されていた喜望峰への到達を果たさず、消息不明扱いとなった。

そして今日、1807年10月14日早朝のこと。オブラ・ディン号は突然、ファルマス港に姿を現す。帆は損傷し、船員の姿も見えない。これを受け、東インド会社ロンドン本社所属の保険調査官が、ただちにファルマス港に派遣された。同船内を直接調べ、損害査定書を作成するために――。

「Return of the Obra Dinn」は、探索と論理的推理で展開する、一人称視点の謎解きミステリーアドベンチャーゲームである。

 

"Papers,please"の作者による推理ゲーム。

PCゲーには珍しく(?)いろんなコンシューマー機にも移植されている。なんかすごい賞も受賞したらしく、すごく評判がいいらしい。

実際、それに恥じない傑作だったと思う。

ゲームデザイン、音楽、それらすべてが融合したストーリーテリングの傑作だ。

 

幽霊船に小舟で乗り付けた主人公は、死の瞬間を垣間見ることができる不思議な懐中時計を使い、行方不明になった船員たちの行方を確かめることになる。

ゲーム的には、死体(もしくは死体跡地)を見つける→死の瞬間を見る→身元を特定するの繰り返し。

かなり絶妙な難易度設定になっており、人によっては久々に歯ごたえのあるゲーム体験になるだろう。本作第一の魅力だ。

60人もの人間の死を、たった一人で見なければならない。それだけでも精神的に若干キツいものがあるのだが、それをさらに駆り立ててくるのが現実世界での船の描写。

見渡す限り真っ黒な海、やがて訪れる嵐の予感、にもかかわらずゲーム中での現実世界は全くの無音なのだ。こんな状態で無人の船の中を歩き回るのはゲームだといってもかなり心細くなる。

ワトソン君さえ隣にいてくれたら……(一応船まで送ってくれた爺さんがいるんだけど、甲板に上がってこないので全く存在感がない。というか信用できない。最初こいつが黒幕なんじゃないかと思ってた。船降りるときにニターッと笑った爺の顔のアップになってバッドエンドみたいな)

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Nintendo Switchの該当ページより引用。きれいな景色に見えるが(だからこそ)歩いてるとマジで人恋しくなる。

 

無音の現実世界にいると、どうしても他の人間の存在を感じたくなる。

そんな状態から過去の世界に飛び込むと、そこはまさにスペクタクルの最中。

心からのいさかいの声、命が消えるまさにその瞬間の光景、鳴り響くドラマティックな音楽。"Soldiers of the Sea"の音楽とかすごくいいよね。葬式の鐘を想起させるあの響き。

過去世界から現実世界に戻った時、プレイヤーはきっとこう感じることだろう。

「はやく次の死体に行きたい!」と。

本作二つ目のポイントは、この現実世界と過去世界の落差にあると思う。

大事件の最中にある過去世界に対して、現実世界はあまりにも静謐だ。

その落差こそがゲームを進める原動力となる。

船員たちに次第に親近感を覚えるようになったプレイヤーも多いのではなかろうか?

次のスペクタクルを求めて、気づけば過去世界に入りびたりになってしまうのだ。


Return of The Obra Dinn | Soldiers of the Sea | OST

 

飛び込んだ過去世界で描かれるのは、超常と日常が接する物語。

オブラ・ディン号が遭遇する災難は、ある種オカルト的なエピソードだ。

こっち方向に行ってほしくないと思うプレイヤーも多いことだろう。船員の反乱とか。

ただまあ、60人失踪はオカルトなしではなかなかキツいんじゃないかなというのが正直な感想だ。

60人全員の殺し合い見るのもワンパターンというか、つらすぎるというか……

とはいえストーリーはかなり優秀、というかちょうどいい塩梅に収まっている。

本作第二の傑作ポイントはこのストーリーの絶妙なバランスだ。

あらすじで描かれる通り、主人公はあくまで現代に生きる保険調査官。

過去に起きたオカルト話の真相を調べることなんてできない。死の瞬間をのぞき込み、船員の身柄を特定することができるだけ。

いくら親近感を覚えても、船員たちを救うことはできない。

生き残った船員たちにも「かかわってくれんなや」と言われてしまう(向こうから見たら知らない人なんだからそりゃそうだ)。

主人公が垣間見たオブラ・ディン号の物語を、主人公は誰とも共有することができない。

絶妙な距離感をもったストーリー、それが"Return of the Obra Dinn" 三つ目にして最大の魅力だ。

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Steam該当ページより引用。彼らの生を、死を見た主人公だが、それを共有する相手はもはやこの世にはいない。

 

60人の命を呑み込み、なお静謐な黒の海。

 

無数の残留思念を抱えたまま浮かぶオブラ・ディン号はまさしく棺。海に浮かぶ棺だ。

やがてプレイヤーは船を降り、陸へと帰っていくのだろう。

分かち合えない死の物語をただ一人、胸に抱えながら。

 

 

Flip the Next Coin...

『白鯨』:暗い海の象徴。

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意識高い系に抜けてるのってここじゃないの的な話-上限突破&下限確保-

 

「意識高い系だよねー」って時々言われる。

個人的にはむしろ意識低い系のつもりだし、反論することはできるんだけど、だいたい親しくない人に言われるのでいつも適当に流している。

実際みんなが言わんとしているところはわからんでもなくて、自分の能力なりQOLなりを高めるための努力を惜しもうとはしていない。二重否定がややこしくなってるけどまあ要するに頑張ってはいる。

でも自分では意識高い系ではないと思っている。昔からちょくちょく思っていたんだけど、自分がメインで考えているのは意識高い系みたいな「上限突破」のアプローチではなくて、むしろ「下限確保」のアプローチなのだ。

 

改善(もしくは成長)には2通りのアプローチがあると思ってる。

それがさっき書いた「上限突破」と「下限確保」。

たとえば人間を生産機械として考えてみる。あるものを生み出すための生産機械。

そのパフォーマンスはコンディンションによって当然ぶれる。つまり、調子がいいとき(上限)と悪いとき(下限)がある。

機嫌がいいときはパフォーマンスは上がるし、体調が悪いときは下がる。それはまあ人間であるからして(いや機械でもそうなんだけど)当然のことだ。

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有限会社東海コンサルティングのHPから引用

グラフの右が調子いい方だとして、人間のパフォーマンスも普通が一番多く、上限と下限が少ない(正規分布かはさておいて)。

 

さてこのパフォーマンスを高めようとする(=成長しようとする)ときに、平均点を高めようとしてはいけない。というかそんな方策はほとんどない。対策がふわふわしてしまって何もできなくなる。この辺が機械と違うところだ。

取りうる方策は2つのアプローチに分かれる。それがさっきの、「上限突破」と「下限確保」だ。

 

・「上限突破」に属するもの

 能力も体力も環境もすべてOKな時のパフォーマンスを高める方策。

 世にいう意識高い系ってだいたいこっちな気がする。

 ホームランバッター的な。

 具体例↓

 ・マインド、根性論。(こいつらは火事場には大事な要素だけど、普段から使ったら体がもたない)

 ・「体で覚える」。反復練習(これは下限の方も上がるかも)。

 ・新しいことに挑戦する。

 ・高給取り。

 ・独断で行動。

 ・栄養ドリンク。ドーピング。

 ・予習。

 

・「下限確保」に属するもの

 調子が悪いときorパフォーマンスの足りない人でも成果を出せるようにする方策。

 安打製造機的な。

 具体例↓

 ・標準化、マニュアル化。

 ・5S。(探し物がすぐ見つかるとき=上限、見つからない時=下限とすると、下限の方の時間短縮の方策だから)

 ・自動化。

 ・フールプルーフ、フェールセーフ。

 ・不労所得

 ・記録・報告。

 ・復習。

 

個人的には下限確保側の方が好きというか、よくやっている方策なので、意識高い系と呼ばれると違う気がする。

この2つのアプローチはもちろん両立できる。というか両立しないと意味がない。

上限突破ばかりでは長くは続かないし、続いたとしても他の人がついてこない。

やろうと思えば掃除できるけど実際は掃除できない、そんな夜を我々は嫌というほど送っているはずだ。

かといって下限確保ばかりではパフォーマンスは上がらない。

マニュアルとか作っても自動化してもそれで達成できるのはしょせん上限の1-2割だ。

 

やっぱりここでも重要なのはバランス。

知っていないもの(上限を超えているもの)は使えないが、かといってその再現性が低ければ(下限が追い付いていないならば)口だけになってしまう。

いわゆる意識高い系は上限だけ高めようとして下限の方をおろそかにしている人たちのイメージ。

下限の取りくみはわりとメカニカルな部分が多く、地味。惹かれないのはしょうがない。

でも個人的には、下限確保がしっかりできている人は上限も上げやすいという認識がある。タグチメソッドじゃないけど。

 

 

 

 

 

わからなかった人のための『重力の虹』解説2 あの人は今!

 

 

 

 各登場人物の顛末をまとめればわかりやすくなるんじゃね?説。

初登場の章ごとにまとめました。

とりあえず公開するけど順次更新するからよろしく。

 

①↓

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第一部初登場組

 

*スロースロップ

 別の記事を参照。

kambako.hatenablog.com

 

 

*カッツェ

三重スパイ。

ストーリーに合わせて流浪の日々を送っている。 

ブリツェロと生活

→00000号打ち上げ直前に別れ、プレンティスに連れられイギリスへ

ヘルマン・ゲーリング・カジノにてスロースロップと逢瀬

→イギリスに戻りプディング准将のお相手

→戦後、スロースロップを探してドイツへ移動

→エンツィアンと合流

エンツィアンたちがどうなったのかは作中で描かれていないため、カッツェの行方も不明。00001号の生贄となったのかについては個人的には50:50ぐらいの信憑性だと思う。 

 

*ロジャー・メキシコ

PIECESの統計学者。ジェシカの浮気相手。

戦後はPIECESの同僚やジェシカと別れたようだ。

カウンターフォースに属した!と第四部では描かれているが、そもそも第四部のイギリス周りの信憑性自体が……

 

*ポインツマン

 スロースロップを巡る陰謀の仕掛け人。

 スロースロップ作戦は失敗に終わり、研究者としての人生は断たれたが、管理者として昇進したようだ。別組織にて働いている様子が描かれている。詳しくは~ページにて。

 

ジェシカ・スワンレイク

 戦時中はロジャーと不倫していたが、終戦後元のさやに戻る。

 ロジャーに語ったところによると、夫と一緒にドイツに移住するようだ。

 ロジャーは<かれら>に属しただのなんだの言っているが、これはあくまで「合理的に行動した」程度の意味だと思っている。

詳しくは↓

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*"早駆け"タンティヴィ

 スロースロップの盟友。第二部のカジノから突然消失、のちに「ドイツ戦線にて死亡」との旨が新聞で報じられる。

 この報道の信憑性についてはスロースロップの語る通り。

 犯人……というか仕組んだのはテディ・ブロート。

 なお後でもスロースロップの前に現れるが、状況的に幻影あるいは思い出と考えた方が適切だろう。いちおう死んだと報じられたのは「ドイツ戦線」なので、ドイツで生きててもおかしくはないのだが……

 

*テディ・ブロート

タンティヴィを陥れた人。 

カジノの一件以降は行方不明。

タンティヴィの死亡記事に寄せた名前を見ると、昇進したようだ。

 

*オズビー・フィール

映画マニア。 

第四部にてプレンティス同様カウンターフォースの中心メンバーとして描かれているが、そもそも第四部の信憑性はかなり微妙。

カウンターフォースも具体的に団体が存在するわけではなく、「不合理に動くやつら」くらいの意味あいなので、実際何して生活しているのかはよくわからない。

 

*レニ・ペクラー

 

*"海賊"プレンティス

バナナ屋敷のイケメン。

基本ずっとロンドンにいた。

例外はカッツェ救出時(第一部)。第三部でも飛行機でドイツに来ている。

こいつが他人の妄想を引き受けてしまうために第四部、ひいては作品全体の信憑性がかなり怪しくなっている。

 

*ホワイト・ヴィジテーションのみなさん

 終戦に伴いPIECESは解体、それぞれ別の職場に移ったようだ。

 具体的な行先は~ページにある。

 

プディング准将

 おなかいたいよう……。

 大腸菌にあたって死亡。

 第四部カウンターフォースには霊の形で登場する。まあ合理的とは言えない死に方してるし……

 

第二部初登場組

 

*ワイヴァーン大将

 

*サー・ドジスン・トラック

 スロースロップの監視人。

 陰謀のことをゲロってしまったためロンドンに帰国。

 別に殺されるとかはなく、別組織に異動になったようだ。~ページ参照。

 カウンターフォースにも出てきているが、何度も言うようにカウンターフォースは具体的な組織ではない。

 

*ワックスウィング

 

*ブリツェロ

またの名をヴァイスマン。

意外なことに消息がつかめていない人。

戦時中はロケット開発の責任者として行動。

00000号の打ち上げ後、ブリツェロの行方は意図的にぼかされている。

翻訳の佐藤氏の註によると、アメリカに移りアポロ計画に関与した様子?

 

*ゴッドフリート

ご存じ花嫁ボーイ。最終セクションのアレ、エロいですよね。

00000号の生贄となった。

 

 

第三部初登場組

 

*グレタ・エルトマン

ドMクイーン。

スロースロップと映画スタジオで出会い、一緒に行動する。

アヌビス号についた後はずっとアヌビス号にいたはずである。

もっとも、アヌビス号自体の行方が怪しいのだが…… 

 

*ミクロス・タナツ

 ブリツェロと行動→打ち上げ直前にアヌビス号へ→アヌビス号から落ちる→難民にまぎれて流浪の日々→エンツィアンに拉致される。

 エンツィアンが拉致したのは00000号の真相を知るため。

 ヘレロ族の面々同様、その後の行方は描かれていない。

 

ビアンカ

 基本的にアヌビス号にずっと乗船。

 スロースロップ下船~2回目の乗船までの間に死亡。

 スロースロップ下船直前のエピソードを見るに、犯人はおそらくグレタ・エルトマンだろう。

 ビアンカの死体はグレタのエピソードに描かれた「ユダヤ人と左翼の虐殺」と同じ殺され方をしている。

 

*ゲリー・トリッピング

 魔女っ子ゲリー。

チチェーリンと別れて町に住んでいたところをスロースロップと出会う。

ブロッケン山でスロースロップと再会、気球に乗る彼を見送る。

第四部にてエンツィアンと再会するため旅を開始、最終的にチチェーリンと出会い、魔法で虜にした。

そのあとは描かれていないが、チチェーリンと一緒に行動していると考えるのが妥当か。

 

*エンツィアン

ヘレロ族のリーダー。

幼少期にヘレロ虐殺中のブリツェロと出会い、心酔する。

その後ブリツェロとともにヨーロッパへ移動、ロケット開発に関与する。 

00000号打ち上げ前にブリツェロと別れ、黒の軍団を結成。土豚穴を拠点に活動していた。

最終的には00001号の打ち上げに向け移動。移動中に物語は終わってしまうため、その後の行方は不明。

移動中に怨敵チチェーリンと会っている。ただし、魔法でお互い気付かなかったうえ、エンツィアン側はチチェーリンのことを邪魔者くらいにしか思っていないような気もする。

 

*チチェーリン

 エンツィアンを追うソ連の軍人。エンツィアンの異母兄。

開戦前に中央アジアに勤務、キルギスの光に邂逅する。

開戦前後にドイツへ移動、ソ連スパイとして仕事をしながら私怨でエンツィアンを追う。

だんだん私怨の割合が大きくなっていたらしく、第三部~第四部でソ連に呼び戻されるも、これを拒否。

単身エンツィアンを追っていたが、ゲリーと合流し魔法をかけられる。

その直後にエンツィアンと出会ったが、魔法のせいで気付かなかったようだ。

その後の行方は不明。

 

*ライル・ブロンド

スロースロップのおじさんにしてスロースロップを実験に差し出した人物。

作中時点(1945年)で故人。

幽体離脱して死んだらしい。

 

*フランツ・ペクラー

ロケット技師。 

スラム街で働いており、そのころに妻のレニ・ペクラーと結婚。子供をもうけた。

その後クルト・モンダウゲンと出会い、ロケット開発の道に入る。この直後に妻及び娘と離別。

ロケット開発者として各秘密基地を転々としていた(ペクラーとイルゼのエピソード)。

ノルトハウゼンの地下トンネルにて働いていたころ、00000号の設計の一部に関与。

終戦後は遊園地にやってきており、スロースロップと出会う。

 

*デュエイン・マーヴィ

 デブでレイシストアメリカ軍人。

 スロースロップと間違われてイギリスに送還。

 イギリスにて誤解は解けたようだ(~ページ)。

 

*イルゼ

ペクラーの娘(?)。 

ペクラーのエピソードにのみ登場、1年ごとにペクラーと遊園地を訪れる。

ペクラーのエピソードのラストにおいて「また会いに来る」的なことを言っているが、その後どうなったのかは不明。読みこぼしたかも?

 

*"飛び駒"フォン・ゲール

 スロースロップと別れてからは消息不明。

 まぁ生きてるでしょう、たぶん。

 

*ゾイレ・ブマー

いかにも怪盗紳士なオッサン。趣味は音楽談義、あと大麻。 

ハッシシの一件以降本筋にはあまり登場しないが、どうもゾイレ所有のマンションにずっといるっぽい。

後にスロースロップもそのマンションに戻ってくる。

 

*"土豚穴"のみなさん

 基本的にはエンツィアンに同じ。

 ロケット00001号の打ち上げに向けて動いているところでストーリーが終わっているため、そのあとは不明。

 

*ビッグ・ボーディーン

<ゾーン>にて闇商人をやっていた憎めないやつ。

 ロケットマンになった直後のスロースロップと出会い、大麻回収を依頼する。

その後ながらく登場しなかったが、娼館のシーンで再度登場。

ビジネスマンらしく賭けの胴元をやっていた。

その後、ゾイレ・ブマーのマンションに身を寄せ共同生活をしている。

なお、分裂直前のスロースロップを最後に見たのは彼である。

トマス・ピンチョンの過去作『V.』にも登場。時系列的にはこちらの方が後である(『重力の虹』は1945年ごろ、『V.』は1955年ごろの物語)。『V.』には妻も登場する。

 

第四部初登場組

 

 

 

 

 

『闘争領域の拡大』 それでも踏破しなくてはならないお前たちに捧ぐ

 

闘争領域の拡大 (河出文庫)

闘争領域の拡大 (河出文庫)

 

 

ウェルベック村上春樹に似ているとよく言われるが、個人的には太宰治に似ていると思う。

ウェルベックも太宰も、ともにキャッチ―なフレーズを作るのが非常にうまい。

太宰のコピーライターとしての実力は『女生徒』を読めばわかるし、ウェルベックのうまさはウェルベックBOTを見るといい。

それと性だ。セックスシーンばかり取り上げられるくせに、春樹にとって女は大きな意味を持っていない。太宰にとって女はまさに一大事だ。ウェルベックにとっても一大事だ……より正確に言えば、ウェルベックにとって一大事なのは、女ではなくセックスだが。

 

女生徒 (角川文庫)

女生徒 (角川文庫)

  • 作者:太宰 治
  • 発売日: 2009/05/22
  • メディア: 文庫
 

 

『闘争領域の拡大』はウェルベック初の小説だ。その前は評伝や詩を書いていたウェルベックが、始めた余に問うた小説。意図をはっきり伝えるタイプの媒体から動いてきただけに、『闘争領域の拡大』はかなり直接的に書かれている。タイトルの意味するところも、筆者が伝えたい部分も、文中に非常に直接的に示されている。

それを面白くないととるかどうかは好みの問題だろう。

冒頭に述べた通り、自分にとってのウェルベックはストーリーの作家ではない。いや社会派作家としてのウェルベックを否定するわけではないが、いかんせん日本人なのでいまいちニュアンスを飲み込めないのだ。

自分にとってのウェルベックアフォリズムの、短文の作家だ。ゆえに本作を評価する理由も、その短文にある。

経済の自由化とは、すなわち闘争領域が拡大することである。それはあらゆる世代、あらゆる社会階層へと拡大していく。同様に、セックスの自由化とは、すなわちその闘争領域が拡大することである。それはあらゆる世代、あらゆる社会階層へと拡大していく。

 

ウェルベックの主人公は常に生きづらさを抱えている。

彼らは職場で人間関係をうまく築けず、常に不健康で、そのくせ金に困ることは全くない(最後のところは村上春樹に似ている)。

そんな彼らが一人称でつづるのは、やはり常に生きづらさの叫びだ。

身勝手で、レイシストで、どうしようもなくありふれた彼らの生きづらさは、彼らのあまりにも個人的な思いから発しているからこそ、生きづらい人間の心を狙い撃ちにする。

君はいつまでも青春時代の恋愛を知らない、いってみれば孤児だ。君の傷は今でさえ痛い。痛みはどんどんひどくなる。容赦のない、耐え難い苦しみがついには君の心を一杯にする。君には救済も、解放もない。そういうことさ。

 

 

普通の小説なら主人公は自殺するのだろう。生きたくない、消えてしまいたいと心から叫ぶものは、劇的な世界では自殺するのがベタな展開だ。

しかし、ウェルベックの主人公は死なない。別に生きたいからではなく、ただ死なない。それはちょうど、生きづらさを抱えながらなお死なず、この本を開いた私たちと同じだ。

なぜ死なないのか、と問われるとウェルベックの主人公たちは、そして私たちはこう答えるだろう。

「生きたくはないが死にたいわけではない」のだと。

 

ウェルベックは短文の作家だ。

そしてウェルベックは、「それでも生きねばならない」人間だ。

本作の最終ページは、我々が人生に倦んでいるほどよく響くだろう。

それでも踏破しなくてはならない、あなたに捧ぐ。

ときどき路肩に自転車を停め、煙草を吸い、ほんの少し泣き、再び出発する。死にたいなあと思う。でも「踏破すべき道があり、踏破しなくてはならない」のだ。

 

 

Flip the Next Coin...

『女生徒』:名文製造機Mr.太宰の本領発揮。

女生徒 (角川文庫)

女生徒 (角川文庫)

  • 作者:太宰 治
  • 発売日: 2009/05/22
  • メディア: 文庫
 

 

土星の環』:生きづらさ製造機Mr.ゼーバルトの本領発揮。

土星の環:イギリス行脚[新装版]

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スプートニクの恋人』:特になにも製造しない男製造機Mr.春樹の本領発揮。

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

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